見出し画像

#6 サードプレイスが必要な話|休職エッセイ

11月の振り返り、ただいま執筆中です。

そのおかげで、先日自分が考えていたことを思い出すことができました。

第3の居場所、サードプレイスが自分にはない

わたし、3年前くらいから「生きるように働く」をテーマにして毎日を過ごしていました。仕事が好きで、研究に励んだりそのやってみようかなと思うアイデアを形にする時間だったら、学校外でやっていても苦痛にならなかった。だからこそ、ワーカホリックという意味ではなく、仕事も生活も融合して楽しく過ごすという意味で「生きるように働く」をコンセプトに選んだんです。

さてそこから月日は流れます。

志を同じくできるような仲間たちはいなくなったり、確実に自分が思い描いていた形から遠ざかっていって、はっきりいうと「生きるように働く」の苦しいところとかに気づくようになりました。教員人生で初めて中学生を持ったというのも大きかったし、とにかくいろいろな変化がわたしの中でそのモチベを揺らがせたのです。


ある意味、結婚したことは、「生きるように働く」を分断するきっかけになったのかもしれません。結婚前、実家にいた時は仕事から帰ってきても正直やることもなかったし、失礼な話、両親とコミュニケーションをとる気にもなれなかった。だからある意味、仕事への時間が楽しかったし、プラスアルファで取り組んだ仕事で周りを少しずつ変えたり、認められるのが楽しくてしょうがなかった。

一方で結婚後は、旦那さんが帰ってくるまでにやるべき家事が増えたから時間が早く過ぎたし、旦那さんが帰ってきたら楽しくおしゃべりしたり、リラックスすることが増えた結果、「仕事」という概念を持ち込みたくなくなっていきました。

そうすると、今回みたいに職場で自分の思うように仕事が回らなくなっていた場合さ、もう頼れる居場所って今の家とか家族だけだったんですよね。自分の所属できると感じる場所が1つだけになる。

今までは、ある意味、仕事後の同僚たちとの語り場自体がサードプレイスだったのかもしれない。でもその場所はもうなくなった。そしたら、職場にいる意味もなくなった。家にいてもダラダラするだけで、また居場所感のうすい職場に行く。この往復。

いやーこれはきついっしょ。
わたしにとって、いろんな意味でサードプレイスは絶対に必要なんだと思う。仕事がうまくいかなくても、そのことを誰かに話せてさ、全然関係ないことで語り合えたりさ、馬鹿笑いできるサードプレイスが、必要なんだ。

職場外の教員サークルとか、好きなゲームの仲間とか、note仲間とか、どうかな。何か、自分がワクワクできる居場所を作りたい。最後に一番あっという間な時間を過ごしたのは、カラオケでやったゲーム会だったよなー。あれは、まじで久々に本当に楽しかった。友達と遊ぶって感覚を小学生ぶりに思い出したような感覚だった。最高だったなー。ああいうサードプレイスが欲しいな。

なんか探してみようかなあ…。

サポートは美味しいおやつとコーヒーで心をみたすことに使わせていただきます☕️