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#4  10月のお休みをふりかえる。|休職エッセイ

この休みの間、書き溜めていた日記を読み直して、10月に自分が気づいたことを振り返ります。

やったこと

ざっくりまとめると以下のことに取り組みました。
1、自己内省のワーク
2、家事などルーティンの確立
3、普段行けないお出かけや贅沢
4、ゲームや読書、Youtube鑑賞などのいつもやっている好きなこと
5、復職に関する取り組み(通院など)


やったことの中で気づいた心のこと

自己内省を丁寧にやることはすごく疲れる、ということです。
集中できるのは1〜2時間が限界。休んで最初の週は毎日少しずつかけてノートに書き込んでいきました。
その結果、わかったことは、教育という仕事の中でも自分が向いていることと苦手なことが混在していて、「先生としての自分」が「わたしとしての自分」を見張っていて苦しくなっていた。ということでした。一方で、先生や学校に嫌悪がないのは、人間に興味があったり人が変化することに大切な価値観を置いているからなのだなとも気づきました。学校が目指すところと自分の価値観(WHY)が重なっているから。

変化するためにできる手段は複数あります。その手段の中で得意なものは、わたしは「全体」の仕組みを作ること。一つの物事を噛み砕いて話すこと。自分の解釈を伝えること、全体を一つの方向に向けるように伝えることなどです。

しかし、本当に大きな変化をもたらし続けるためには、どうしても継続してこちらから生徒「個人」に直接アプローチをかけることが必要になりますし、場合によっては直接私がかかわらずに、本人たちに任せる場所を作ることが必要だということがここ数年でわかってきました。この「個人へ」「直接」という手段がわたしにとっては苦手です。どこに向かうかわからないものを任せたり、自分の領域外から近づくことが苦手なのです。しかし「先生としての自分」はその手段をとることを望みます。「わたしとしての自分」は苦手なので苦しい気持ちで立ち往生しています。


教職についてから現在まで、そうやってじわじわと授業の後の後味の悪さなどを感じ取っていましたが、その心の声は無視していました。生徒と話して楽しいことも多いので、特に気にせずとも大丈夫、と思っていたからです。
しかし、心を許せる仲間がいなくなったことや保護者との出来事や分掌仕事での罪悪感が重なり、後味の悪さに耐えきれなくなった、ということです。

だから、今後たとえ保護者との関係が急に良くなったとしても、生徒から良い反応をもらうようになったとしても、今の精神状況と同じ状況になるかもしれないのです。結局は、自分自身が「先生としての自分」と「わたしとしての自分」を緩やかに近づけながら、「べき思考」の向き合い方を手に入れなければ解決しないことなのです。

このことを誰に相談すれば、上の事柄に取り組めるのでしょうか?認知療法の本を自分でやっても、やっぱり疲れてしまうし、限界があります。第三者が必要でしょう。今通っている心療内科に相談しづらい気もしますが、次行ったら伝えてみようと思う。これをまず、今後に向けて進めていきたいです。

日常生活から気づいたこと

さて、話は変わりますが、もう一つ気づいたことがあります。
それは、ルーティンの重要性です。例えば、お出かけした日にルーティンが崩れ、翌日も疲れていて同じく崩れることがあります。それ自体が悪いわけではなく、その崩れがあった時は、大抵メンタル的に乱れることが多いのです。お出かけ前後はいつも以上に最低限のルーティンはやることが、自分のメンタルサポートに欠かせない、ということを知ることができました。

一方で、週1レベルのお出かけは最高にリフレッシュになることも分かりました。
元々かなり出不精だったのですが、少し重い腰をあげても行くことで得られることがたくさんあるということに気づけたのです。
もっとたくさん感動体験がしたいなあ。

出かけなくとも、日常のリフレッシュも溢れていました。
趣味の一つにゲームがあります。2時間以上ぶっ続けでやると、肩こりや頭痛につながることが実感できたので、程々にやるようになってきました。またYoutube鑑賞も趣味の一つです。大好きなチャンネルを見るのが毎日の癒しになっている。ずーっと見られちゃうけど、みすぎると逆に疲れたりメンタルが落ち込むことがあることもわかりました。

お休みはまだ続くことになりそうなので、マイペースに考えすぎずにやっていきたいですね。

そして、人生は続きます。



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