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自分の「アイデア」を8年かけて「発明」にした話  ~「瀧本宿題」への自分なりの回答として ~


2020年6月30日に、瀧本哲史先生の講義録が全文公開された。8年前に東京大学の伊藤謝恩ホールで、10代、20代の人向けに行われた講義で、

講義の最後に瀧本先生から

「8年後の今日、2020年の6月30日の火曜日にまたここに再び集まって、みんなで『宿題』の答え合せをしましょう」

講義を受けよ、そして #瀧本宿題 で投稿せよ! DO OUR HOMEWORK.

というメッセージが送られている。

残念ながら瀧本先生ご自身は昨年亡くなられてしまったが、
講義の内容も含め、心に残る話だった。

ちなみに僕はいま37歳で、8年前は29歳なので「ギリギリ20代」ということになる(8年前の講義には参加してない)。

当時は製造設備メーカーに勤めていて、設計だけでなく、お客さんの工場に行って装置を立ち上げたり、不具合があって怒られながら直したり、みたいな仕事をしていた。

その後ベンチャーに転職して新規事業向けの開発にも取り組み、
昨年独立して今はフリーランスとして仕事をしている。

会社勤めもなかなか忙しかったけど、「個人としても何かつくりたい」という気持ちが強く、ひとりでアイデアを練っていた。

ちょうど瀧本先生の講義の時期である8年ほど前に着想したアイデアを、先日ようやく「特許出願」にこぎつけることができたので、勝手ながら
「何かの縁かな」
と思って記事を書くことにした。

一言でいうと

「アイデアを8年間育てて特許出願しました」

というだけの地味な話ではあるが、「アイデアを育てる」(*)ということについて、瀧本先生の講義も振り返りながら、以下の観点で少し掘り下げて書いてみる。

◆「アイデア」に価値はあるか?
◆「アイデアを育てる」とは?
◆「自分なりの答え」を出す


◆「アイデア」に価値はあるか?

アイデアについて、瀧本先生は以下のように書かれている。

アイデアなんてものに価値はなくてですね、それをやるメンバーの実行力とかのほうが、はるかに重要なんです。

第六檄「よき航海をゆけ」

おおむね同意だが、付け足すとしたら

「ちょっと思いついたアイデア・着想」にほとんど価値はないが、
コツコツと「育てる」と「価値のあるアイデア」になる(可能性がある)

というのが実体験を通じた僕の考えであり、
それをコツコツ続けて特許出願までもってきた、
というのが僕の「8年間で自分なりにやってきたこと」である。

「育てる」についてもう少し掘り下げてみる。


◆「アイデアを育てる」とは?

ざっくり書くと、以下の作業を8年間ずっと繰り返していた。

① アイデアを書き出して「形」にし、どこに「価値」があるか見極める
② 他の例と比較したり、他人と議論して、「価値を伸ばす材料を集める」
③集めた材料を整理し、①に戻る

大切なのは、「繰り返す」こと。

議論や調査を踏まえ、①の作業に戻ると、アイデアが「育って」いる。
何度も繰り返すうちに、いつの間にか
「ちょっとしたアイデア」が「価値のあるアイデア」に育っていく。

書くと簡単なようだけど、
アイデアが「育つ」というのは「変わる」ということで、
進めるうちに、

「何が本質だかわからなくなる」
「あれ、これ無理じゃね?みたいな論理的破綻が見つかる」
「なんか面白くない気がして、自信がなくなる」

といった「行き詰まり」が何度も生じる。

しんどいけど、ひとつひとつ「事実」を整理し、
向き合って「打開」していく。
「回避」するとよけいに道に迷う。

「打開」するために一番大事なのは、当たり前だけど
「自分で考えて自分なりの答えを出す」ことだと思う。


◆「自分なりの答え」を出す

瀧本先生は「答え」を「探して」しまうことについて
以下のように書かれている。

何度もくり返しますが、「どこかに絶対的に正しい答えがあるんじゃないか」と考えること自体をやめること。バイブルとカリスマの否定というのが、僕の基本的な世界観になります。

第二檄「最重要の学問は『言葉』である」

アイデアを育てる過程でも、これに尽きる。

正直、自分より賢い人も、発想力が高い人も、努力してる人も、
世の中にはたくさんいる。

自分でごちゃごちゃ考えるより、すごい人に「答え」を教えてもらったり、どこかにある「答え」を見つけた方が早いのでは?
という気分になることも多いが、
「答え」なんて最初からない。

「もやもやした状態」で人に聞いても、
「その人がその時思ったこと」が情報として追加されて、
混乱が深まり、次のステップにいけない場合が多い。

でも、
「その時点で、自分が出せる最良の答え」
を仕上げてから他人と議論すると、

「自分なりの答えA」+「他人の意見・視点」 ⇒ 「自分なりの答えB」

という感じで、自分なりの答えを「進化・深化」させることができる。

「自分なりの答えが出ているか?」

前記の作業①が「完了したか?」の共通した判断基準になる。

「議論を通してアイデアを育てる」というのはそういうことで、
「悩みをぶつける」のではなく
「たたき台としての自分のアイデア」をしっかり仕上げて、
それを叩いてもらう。

「悩みをぶつけ」ても、「発散して終わり」になるのがオチで、
相手の時間も無駄になる。

特に初期の段階では、
「自分なりの答え」を形にすると、驚くほど「しょぼい」ので、
人に見せるのも、その事実を認めるのも恐い。

アイデアが育たない人は、そこを越えられず、
前に進めないことが多いのかなと思う。
だから「アイデアに価値はない」という結論になってしまう。

価値が出せれば、世に出て評価されるのだから、
そうなるよう育てるのが親である発案者の仕事


行き詰まっても、そう自分に言い聞かせながら進めてきたが、
「発明」と呼んでもよいアイデアに育ってくれたという手応えはある。


◆この先の8年について

ここまでの8年は、上記の通り、
しょぼかったアイデアを捨てずに、
「自分なりの答え」を出し続けながら、コツコツ育ててきた。

これからの8年間で何をやるか、だけど
基本的には、引き続き、
地道に自分のアイデアを育て続けることになると思う。

「アイデア」を「世に出す」フェーズになり、
関わる人も増えていくと思うけど、これまで関わって頂いた人にも、
今後関わってくれる人にも、喜んでもらえるよう精進します。


地味な話で恐縮ですが、自分なりの答えとして。


*「アイデアを育てる」はTechnoProducer株式会社の商標


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