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オリンピックとアスリートと芸術家と

今年の冬季オリンピックは何か変だ
別に何かの政治的な力が働いているのではないかと言うことではない
思いがけないことが次々起こる

小平奈緒の失速、パシュートの転倒、スキー失格、羽生結弦の…
なんだか色々と不運なことがよく起きる
まぁこれもオリンピック、これも人生の一部だと言ってしまえばそれまでなのかもしれない

もしかしたら大殺界だの気の流れがどうのこうの言う人もいると思うが
それはそれで、そういう事を言っている人を見るのは面白いから
どんどん言わせておけばいい

Reflected2

写真に限らず、芸術家の世界もアスリートの世界と同じだと思う
ストイックに自分の作品を追求し、渾身の作品を作り、それを発表する
すると思いがけない反響をもらうこともあるし
こんなはずではなかったという結果になることもある

追い詰めて追い詰めて
納得するまで考えて、身体を苛め抜いて
そうやっていく過程に起こる苦しみは
普通に生活していて感じる事の出来る苦しみとは別なモノじゃないだろうか

全てを一つに集中させ、ある意味不自由な身体と心にさせる
自分自身との孤独な闘い

誰もがひとりぼっちさ
孤独なジグソーパズル
見果てぬ夢の破片を探して彷徨う

JUMP  / THE ALFEE  (1995)

そんな感じなんだろうか

signboard

そういった意味では芸術家もアスリートなんだと思う

どこまでストイックになれるだろうか
自分を極限まで追い詰めて精神を使い尽くすような事は
なるべくなら無いほうがいいけど(堕落)

でもそれだけでは良い作品は生まれないよね
前に書いたけど、基本的に何かを生み出すには苦しみを伴うものだ
楽しさの裏側には必ず、苦しさや悲しみといった負の感情が存在する
乗り越えた先に、自分の納得する、満足する結果がついてくると思う

作品を作る事は楽しいと先生は言っているが果たしてそうなのだろうか

closing time

自分が所属するモータースポーツ写真クラブの写真展への写真も
出すときにはいつも悩むし、これで良いのかずっと考える
自分に自信が無いのかもしれないが
でも果たして自信がもしついたとしても、納得いくものは。。。

自分は、"楽しむ"領域には達することはあるのだろうか

でも、オリンピックを始め、最後はみんな笑顔で終わってる
これで良かったと、また次に向けてと
笑顔でまた走り出す

そうなれるように
苦しみも、なんでも楽しむことに
考え方を変えてみればいいのか

Departures

走り続けて行けば
何かが見えて来るはずさ
君だけの答えが明日へ導くよ

自由になるために  / THE ALFEE  (2000)

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