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リスキー

”水臭い”という概念、わからねぇな。

なんかこう、あるじゃないですか。でっかい案件とか、悩みごととか、お祝いごととか、そういうことをそこそこ親しい人に言わなかったときとかの、「なんだよ、水臭いな!」みたいなやつ。ドラマとかでよく見るアレ。

あれ、よくわかんないんだよな。

なんというか、「知る」というのほど不可逆なものってそうそうないと思うんですよね。知って良かったことと、悪かったことがあったとして、それってどっちだとしてもなかったことにできないじゃないですか。

んで、何かを知るってことはある程度、それ相応の働きというか対応が求められるわけで。「知らなかったしやってない」より「知っていたけどやってない」は明らか後者の方が罪が重いわけよね。結果は同じなのに。

だからあんまり知りたくないなと思ってしまう。例えば友達の悩みとか、逆にお祝い事とか、別に全く知りたくないってほどでもないけど、知らせてもらえなかったことでマイナスになるものってないじゃないですか、って思っちゃうんですよね……プラスもマイナスも生まれないでしょと……

そのへんがあんまりぴんときてないので、周りの人には水臭いヤツだと思われて生きてるんだろうなぁという気はするんですよね……申し訳ねぇな、という思いと、それで人でなしだと思われてたら嫌だな……という思いと。

一度告白されたら、もう知らなかったことにはできないからそれが知りたくないことだったらマイナスだし、それに見合った適切な行動が取れなかったらまたマイナスなわけでしょう?自ら進んでそのリスクを取りたがったり、リスクに晒されなかったことにショックを受けたりするのって、めちゃくちゃ不思議な心の動きだなァと思ってしまう。

そのへんを度外視できるのが”親しい”ということなのかしら。難しいわね。


今日はここまで。ありがとうございました。

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