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ごひいきに(2022年12月22日の日記)

思えば、贔屓されて生きてきた人生であった。

小学校低学年のころ、特に宿題でもないのに毎週1本作文を書いて先生に提出して見てもらっていた。

中学年のころ、文化祭で演奏するのがミュージカルの曲だったので、元の本を図書館で借りて学校に持っていったら先生に「長すぎるからみんなが読めるように要約してくれないか」と言われ本3冊の内容を原稿用紙3枚に要約したらそれが全員に配られた。

高学年のころ、地域について調べたいテーマが同じ人ごとにグループを作って発表する会をしたとき、希望したテーマが1人だけ誰ともかぶらなかったが、どこかのグループに収容されることなく1人で発表した。

中学生のころ、委員長に就いた委員会の仕事がヒマすぎたのでその月の予定とかをまとめた学校新聞を新規に創刊して各クラスに配っていた。特に何も言われなかった。

高校のころ、生徒にめちゃくちゃ当ててくるタイプの世界史の先生の、誰も手を挙げない質問回答係になっていた。


単純に、そういうのを辞さない先生と、そういうのを放置してくれるクラスメイトに恵まれて生きてきたんだろうなと思う。要約作業したやつとかは先生に便利に使われてんなという気もするし、高校のは新採用の先生なので勝手が分かってないだけだったような気もするけど。

できる子を贔屓していた、とも言うし、できない子をできる場所で補ってあげようぜ、ということだったのかもしれない。忘れ物大魔王の異名を持つ児童だったから……あと算数もできない……人の話もあんまり聞いてない……

できるから学校が楽しくない子を救うのか、できないから学校が楽しくない子を救うのか、みたいなのが話題になるたびに、なんかこう……点数で結果が見える勉強じゃないこういう「あわい」みたいな部分を育つがままにさせてくれるのってそんなに難しいことですかね、という気持ちになる。けっこう怒られてきたけどよ、それなりに学校という場所で楽しく生きてたぜ俺は、と振り返ってみて思う。


今日はここまで。ありがとうございました。




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