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呪いの解き方

算数、数学が苦手だ。

小学校のときは得意だったが中学に上がって……とかじゃない。小学校ののっけから苦手だ。高校時代は赤点じゃなかった定期テストの記憶がない。私の勉強の方針はずっと「数学以外の教科でいかに数学の埋め合わせができるだけの好成績を取り、数学はどれだけ足を引っ張らない点を取れるか」だった。

ただ、数学というもの自体は別に嫌いではない。まず、この日記読んでる人はわかると思うんですけど、私死ぬほど理屈っぽいんですよね。哲学が好きなんですよ。哲学には数学が含まれるので……論理学が好きなのだ……

そういう学問領域が存在しているという事実が好きなので、読んだの小学生のときだけど「算数の呪い」って絵本とか、「数の悪魔」とか好きだった。

人類には指が10本あるけどバイナリー星人には2本しかないのです。


じゃあなんでこんなにも数学や算数がダメだったのかってことを考えていたんだけど、たぶんこの数学算数に対するダメさって、他の教科がダメっていう時のダメさと質がかなり違うんじゃないかと思う。そして、そのダメな部分がどうしてダメなのか、わからない(数学ができる)人には全然推察できないんじゃないかと思うのだ。

今回は、私という数学算数鬼門人間版「私はなぜ数学ができないのか」できるかぎり言葉を尽くして(幸い国語は比較的得意であったため)、説明してみたいと思う。


・数の「概念」と「物理的な数」が癒着、もしくは乖離しすぎている。

しょっぱなから一番伝わらなそうな話。つまり「リンゴが3つ、みかんが2つ、全部で5つ」を「3+2=5」に切り替えられるかという話。

たぶん、小学1年生のころは、誰もがおはじきを使って計算していたと思う。そこからまずおはじきを脳内で動かして数えられるようになり、いつか、おはじきなしでも計算できるようになる。この段階で既に不全が起きているのではないかという推測。

本当はこの発達ってめちゃくちゃ高度なことをやっていると思うんですよね。100という数字を見たときに、大人は誰も100個のおはじきを想像しないでしょうよ。ある種の記号として数字を扱って、その上で必要に応じて物理に変換して物やお金を数えたりする。この切り替えが自在にできる必要がある。これが苦手だと、おはじきなしで計算ができなかったり、逆に数字の大きさがすぐにピンと来なかったりする。私はこのへんにあんまり自信がない。計算して出てきた数字の規模的な違和感に気づけないので、とんでもねぇ間違いでも平気で提出する。

また、小学校などでは例えば割合を「もとにする数」「比べられる数」などと表現して、それに当てはめるようにして計算することを求められる。これも思考のプロセスとしてけっこう高度では? 私はこの、「元にする」「比べられる」という言葉と数の概念、そして身長やら距離やら個数やらの文章題における物理的な概念の対応を理解することが全くできず、小4で完全な落ちこぼれコースに入った。中3でやっとおぼろげに意味を理解した日が来たときは、思わず2階の自室から駆け下り、リビングの親に割合がわかったよ!!と叫んだ。程度の低いアルキメデス。


・物事を順序立てて実行するのが苦手

計算は基本的に正しい順で行わなければいけない。これを注意深く行うのが苦手だというパターン。これは本当に深刻な問題。

よく教育に関して言われている「計算の順序違ってても採点それでいい問題」。私に関して言えば余計なこと言わんといてくれが本音。なぜなら、あるていど算数ができる子にとって「どっちでも答えは同じ」はすんなり飲み込めるかもしれないが、私のような物事を順序だてて慎重にやるのを心底苦手にしている人間にとっては非常に理解しにくいことだからだ。混乱させるな!!俺たちは柔軟性以前の世界にいるんだぞ!!!


・苦手な子をさらに苦手にさせる数学の特性

「算数嫌い」というのが他の教科嫌いとは際立って見えるのは理由があると思っている。義務教育で学ぶ教科の中で、「思考力」を問われる割合が高い教科だから。

例えば理科のテストでヨウ素が反応する物の特徴がわからなかったとしたら、それは単純に知識が不足しているということだ。覚えていないのにデンプンというものの存在を急に思いつくということはない。そしてそれがわかりきっていることだから、解けなかったとしたら潔く諦めて解説を見れば良い。反省点は、それを覚えられなかった、勉強不足の昨日の自分に見出せば終わる。

一方で、算数は「考えればわかる」という”幻想”がある。本当はそれは”幻想”であって、解くには当日までの訓練が必要なのだが、前述したような教科に比べれば、その場で考えれば答えや解法がわかるような気がしてしまうのだ。結果、分からない問題の前で立ち尽くすことになる。さっさと諦めれば良いのに。

ただ、算数ができない子がいくらその問題の前で何時間机に座ったとて、できるようになるはずがない。そのときの問題を眺めているときの子の脳内は「わからない、こんなのわからない、自分はなんて馬鹿なんだ、なぜこんな苦しいことをしないといけないんだ、また怒られる、もう嫌だ」エトセトラエトセトラ……であって、ぶっちゃけもう問題のこととか考えてない。

今の私なら、そこで省みるべきはそれまでの訓練不足だとわかるのだけれど、当時は考えられない自分の頭が悪いのだと思っていた。自己嫌悪や他者(この場合は教科)攻撃に結びつきやすい教科だと思う。当たり前のことだけれど、そんなストレス環境にいてやる気が出るはずもないので、スパイラル状に算数できなさは加速していく。


とりあえず3つ挙げてみた。この3つが誰にでもあてはまるとは思っていない。ただ、実際こういう理由でダメな人間は一人ではないのではないかなとは思っているし、なおかつ授業でフォローされにくい部分なのではないかと思う。

あとこれは1番目のに関連する所感なんだけど、数学って実用的な部分と一種の思考実験的な部分があって、そのへんの「なぜこれを学ぶのか」みたいなところがいまいちブレたままやらなきゃいけないのが面倒だなという部分がある。どっちを前面に出した方が興味を持つ人が多いのか問題とセットで。私は、これは「考え方」の学問ですよと言ってもらえた方がなるほどね、と思えるのだが、いつどう使うのかを説明された方が効く人もいるだろうし……

私は今の人生サイコーと思ってはいるけれど、数学さえあとちょっとできていたら人生変わってた部分はたくさんあるなと思うので、なんかこう、ちょっとでも数学で死ぬ子が出ないようになるといいなとは思うよね。

今日はここまで。ありがとうございました。



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