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字足らずの今日へと染みる梅雨かな
枠があることによる美ってあるよね、という話。
俳句なんかは本当にそうだと思うんだけど。
与えられる感動の総量だけで勝負するならそりゃ長々と自由に文字を書き連ねればいいわけじゃないすか。たった17文字しか書いちゃダメ、なんて不合理にも程がある。
でも、俳句は17文字で何かお伝えする、季語を1つ入れる(基本的に)、というルールに価値がある。鑑賞する時には単純な意味だけじゃなく、そのルールの中でこんなに!というところも加点される。そこが面白み。サッカーに手を使えばいっぱい点数入るじゃん!とは誰も言わないわけで。でも俳句にはたまに言う人がいるのでなんやねん、と思う。
私はMikuMikuDanceっていう、3Dモデルのお人形を動かせるソフトで作られた、ファンアート的動画作品を見るのが好きなんですが、これもそう。美しさだけを求めるならそりゃプロには叶わないしモーションキャプチャには叶わないかもしれないさ。でもこれは普通に会社員とかやってる人達が情熱をかけて趣味として作ったということを加算して見るわけよ。その途方もない努力や手間を察して楽しんでいる。
結局、この世の面白みってつまりは縛りなんだよな、と思う。お金とか時間とかルールとかがあって、その枠の中でどうギリギリを攻めるかみたいなことなんだよな。どう考えてもそんなん全部無くなった方が生まれる結果はでかいはずなのに、わざわざ枠を作ってにやにや楽しんでいる。このへんが人間らしさ、というものなのかもしれませんね。
今日はここまで。ありがとうございました。
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