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辛く楽しい者たち(2023年1月23日の日記)
つらいので、生きるのが楽しい。
暴太郎戦隊ドンブラザーズが佳境です。
ご覧になってない方に説明すると、今週は結構きびしめのできごとがどこから説明したらいいかわからないぐらい同時多発している回が放送されました。1週間かなしみなのか苦しみなのか興奮なのかよくわかんない気持ちをしがんで暮らすことになっております。周りに同じように膝を抱えている視聴者がいたらやさしくしてあげてください。
でも私はこういうふうなしんどさを噛み締めてろくろを回すことが何より好きなオタクなので、生きるのが楽しいです。サイコーに生きてるって感じがしてますね今。
あと、こういうしんどさを噛み締めるのって、自分の身にある程度余裕があるからできるのではないかという気もするし。自分がきびしめのできごとを大量に抱えていたら、こんなに自分と一切関係の無いフィクションの人間の地獄にこころを千々に乱れさせてもいられない気がする。
いや、どうなんだろう。自分がきびしい時にこのマンガ(過激な内容)に救われたんです……みたいなこと言う人もいるよね。暴力をエンタメとして楽しめるのは、誰かを殴ったことも殴られたこともない人なのか、日常の中に暴力があってリアリティを感じたり許しを得たりできる人なのか。
かまみくの「JOKER」をどっちの精神で見たか評論が好きなんですが。
何なんだろうな。きっとフィクションには「共感」の面白さとそれによらない面白さがあって、それをどっちに軸足置いて、どんな割合で楽しんでいるのかってかなり人によるんじゃなかろうか。どっちか一方を刺激するやつもあれば、両方を刺激してくるものもあって、そういうとき、それぞれその人に設定された割合によって出る反応が変わってくるんじゃなかろうか。
そんなことを今考えました……
た、助けて〜(楽しい)
今日はここまで。ありがとうございました。
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