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嫌いで語れない

嫌いな物、何だろうな。

「好きなものより嫌いなものが同じ人を大事にすべき」みたいなのよく聞く。好きなものが同じなら仲良くなれるかって言うとそうじゃないだろうということは分かるんだけど、嫌いなものが同じの方に関しては、本当に???という気持ちでいる。

まず自分が嫌いなものがそんなに思いつかない人間であるということがまず1つ目。そんな人と盛り上がれるほどの嫌いなものってないな。そりゃもちろん「悪」とかは嫌いですけどそういうことじゃないじゃん???そこそこの悪人でも愛せますよ、人類だからね……(個人単位への解像度が低い人)

もうひとつは、単純に嫌いなものの話で盛り上がれるのってそんなに楽しくはないし……

だからこう、私と連帯感を持ちたいという理由で嫌いなものとか苦手なものとか敵とかを探られるのはちょっとなって感じがするんだよな……

要するに何にこだわって何を許せなく感じるかみたいなことなんだと思うけど、それなら最初からそう言えばいいのでは……


個人的には何が嫌いかっていうよりは、何が嫌いかとかをどういう場面でどの程度外に出すかってのが似ている人とお近付きになりたいなとはよく思いますね。もっと言うと、本音はどうあれ、建前レベルが近い人、みたいな感じ。

まぁ例えばの話ですけど、誰もいない深夜に赤信号の横断歩道を渡っちゃうかどうかより、赤信号でもよく確認したなら渡っていいよね!と表で口に出しちゃうかどうかで判断したいみたいな話。伝わってます?

どうせ目の前の人が掲げた「嫌い」すら本音かどうかなんてわかりゃしない。結局は本音じゃなくて建前の部分をぶつけて生きていくんだから、そっちの見た目で選びたいな。という話。

今日はここまで。ありがとうございました。


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