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ミリしらのままでいる(2023年4月16日の日記)

名探偵コナンの映画をやっているそうですね。

コナンに触れないまま人生を送ってきた。いわゆる夕方やってるアニメ、クレヨンしんちゃんもドラえもんもポケモンもそれぞれ数本は映画を見てきたが、コナンのことはよくわかっていない。田舎在住による放映の制約を受けていない数少ないアニメだというのに……

ただ、友人と共に「純黒の悪夢」を映画館で見たことがあるのと、テレビで「漆黒の追跡者」を見たことがある。つまり、ミリしらの状態で急に劇場版の情報だけを流し込まれる……という経験はしている。まぁ映画を見たとてミリしらのままである。警部さんたちとか黒の組織の皆さんとかあたり、ゲストキャラとレギュラーキャラとモブ的キャラの区別そんなについてないし……というか、この特大コンテンツのミリしらを卒業するのってもうどっから手をつければいいのかよくわからなくないすか?漫画?漫画を読破すればいいのか?

映画や、ふとテレビをつけた時にやっているコナンを眺めるたびに毎回新鮮に思うのは、「この体裁で長年ミステリをやり続けてるのすごいな……」ということだ。

なんというか、コナンってサザエさんと違って不可逆の縦軸があるわけじゃないですか。詳しく知らないんだけどそういうことなんでしょ? 人死になんかも出るし。その上で延々と、短編の事件をやり続けている。どういうこと?縦軸の話をしながら横で別の短編的事件を動かしてたりしてて、何?もったいなくない??

むしろ、縦軸の方だけやる方に傾かないのが凄いなと思う。ほら、ジャンプ漫画が最初は1話完結的ギャグだったのに気づいたらアクション骨太ストーリー漫画になってる…みたいなことってよくあるじゃないですか。たぶん作る側としては縦軸の流れに身を任せる方が楽な気がするので……

あとは、その短編的事件でもいちいち華やかな謎解きがある、というのもすごい。被害者からのメッセージだったり、シリアルキラーだったり、めちゃくちゃ凝ったトリックだったりとかそういうやつ。例えば古畑任三郎なんかだと、殺人自体はカッとなってやっちまいました!みたいなやつで、必死に隠蔽してある中の綻びを狙っていくようなスタイルが多い気がする。刑事ものと探偵ものの違いという感じ? 良くも悪くも、わざわざ??みたいなトリックをいちいち考えるのってすごいしんどそうだな。

さらに映画となると、舞台も遊園地とか豪華客船とか、人気キャラとか、久々登場のあのキャラとか、そういう盛り上がる座組みをそれなりに調えないといけないんだろうから、ものすごく大変そうだな……それでいて毎度ウケているんだからすごいことだ……

あとは、もう見ている人には当たり前なんだと思うけど、毎回あの「俺は高校生探偵工藤新一…」ってやつがあるじゃないですか。あれ、やろう!って最初に言った人ってすごいな……と思う。もう毎度やってて恒例になってるからイヨッ!と歌舞伎の掛け声の気持ちで見ればいいけど、最初のどこかには作ってる人達の、これ毎回やります?みたいな議論があったんだと思う。そのへんどうなんですかね?伝統芸能になる前にはたぶん、無い方がよくない?という検討もあったんではなかろうか。それでもやり続けて今まできてるんだからすごい話だな……

キャラクターの背景とかをよく知らず思い入れがそこまで強く無いので、そういう構成やディティールばかりが気にかかる。キャラに関しては確信を持てることが光彦くんの声が可愛すぎるということだけなので……

今のところまだミリしらを卒業するタイミングがないので、フィーバーには乗れない。乗れないけど乗れないなりに今年も、はぇぇ〜すごいなァ〜という気持ちで眺めていたいと思う。上記のような観点以外でミリしらからの印象を聞きたい友は声掛けてください。コナンの正体が黒の組織に割れるかどうかみたいに、知ることって不可逆の最たるものなんだから。知っちゃったらきっとこんな陳腐で無責任な散文なんて消したくなるに決まってるんだから。

今日はここまで。ありがとうございました。


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