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雑な暮らし

懸案を片付けたので今日は頑張った。

懸案というのは部屋の隅にしばらく前から転がしておいたラッピングペーパー(未使用)を片付けたということなんですが……

なぜ包装紙がぴらっと部屋の隅に置かれていたのかというと、数週間前に人にプレゼントを贈ろうと思い、100均で包装紙を買ったのだが、私がポンコツすぎて全然綺麗に包めなかったのだ。どうにも人に渡せるクオリティにならず、諦めて別の袋に入れて渡したので、ただしわしわになった包装紙(しかし未使用)だけが残されていた。

本来の用途にはもう使えないのに、本来の用途には使っていないがために捨てるのもはばかられたので、しばらく罪悪感と共に見ないふりをしていたのだ。私の人生はかなりの時間と労力が自身のポンコツの尻拭いのために費やされています。


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小物入れに使っていたお菓子の空き箱を包む工作をしました。


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そもそもしわが寄っていたのに加え、生来の雑さがでており思った以上にパッとしなかった。インテリアとしては黒い方がマシでは?

いずれ引っ越すときには捨てる気がするので、ゴミ箱へ行く前にしばらく猶予が与えられただけとも言えるのだけれど、買ったラッピングペーパーをそのまま捨てるのよりはなんぼかマシだろう。そう思いたい。

はさみや両面テープなんかを使いながら、ちいさいころはこんなんばっかやってたよなぁと思った。

工作はたのしいのでけっこう好きだ。小学校では牛乳パックやボール紙が相手でも、少し大人になれば、編み物とか刺繍とか、木工とか革細工とか、選択肢が増える。私も刺繍とかミニチュアづくりとかに取り組んでいた時期もある。雑なのでクオリティはいつも低いのだけれど。

「器用さ」と「丁寧さ」は別の概念で、世の中には器用で丁寧な人と、不器用だが丁寧な人と、器用だが雑な人と、不器用で雑な人がいると思う。分類するなら、私は自分のことを器用で雑、ぐらいのところに入るんじゃないかなと思っている。作業スピードは速いのだ。とはいえ評価されるのは出来上がりのクオリティなので、「雑」がすべてを侵食していくのだけれども。

休日にお茶を飲みながら、お菓子の箱に包装紙を巻くという、カッコつけて言えば「リメイク」「デコレーション」をしていると、「丁寧な暮らし」というワードが浮かんだ。雑さが原因で生じた、雑な作業をして、成果物の出来が雑でも、私も丁寧な暮らしをする人に入れてもらえるのかしら。やっぱりだめかな、とかそんなことを考えていた。


今日はここまで。ありがとうございました。


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