【えいごコラムBN(12)】「ただいま」と「おかえり」
日本語のあいさつには妙に英語に置きかえにくいものがあります。
たとえば、朝起きたときの「おはよう」を “Good morning.” とするのはなんの問題もないのに、学校へ行くときの「いってきます」や「いってらっしゃい」を英訳しようとすると、はたと困ってしまいます。
前に授業で使っていたリスニング教材に、朝家を出る際に家族が交わす会話の例がありました。
しかしそこに出てくるのは “See you.” や “Goodbye.” ばかりで、これでは友人や知人と別れるときの「さようなら」と変わりません。
どうも英語には、出かけるときの決まったあいさつというものがないようです。
「ただいま」と「おかえり」についても同様のことがいえます。
たしかに “I’m home.”や “Welcome back.” といった表現は存在します。
しかしこれらは、学校から帰ってきた子どもとお母さんのやりとりとしてイメージできるようなものではありません。
使われるとすれば長い旅行を終えて帰宅したような場合でしょう。
L・I・ワイルダーの『プラム・クリークの土手で』という、開拓時代のアメリカを舞台とする作品があります。
その終盤に、父親のチャールズが冬のさなかに買出しにでたところ吹雪に巻き込まれて動きがとれなくなり、母親のキャロラインと3人の娘たちが家で何日も待ち続けるという話がでてきます。
父親が家に戻ってきた場面から引用しましょう。(娘たちは母親を Ma 、父親を Pa と呼んでいます。)
吹雪に何日も降り込められてやっと帰ってきたというのに、父親がまず口にするのは「お前たち、俺が留守のあいだいい子にしてたか?」です。
そして彼と妻の間に交わされるのは「あなた凍えてるじゃないの」「凍りかけさ」というやりとりです。
この状況でも “I’m home.” や “Welcome back.” は使われません。
英語話者は、帰宅したときには状況に応じて様々な言葉を交わすものであって、日本語の「ただいま」、「おかえり」に相当する定型的なあいさつは存在しないのだと考えた方がよさそうです。
なぜ「いってきます」、「いってらっしゃい」、「ただいま」、「おかえり」が英語にならないのでしょうか。
理由としてひとつ思い浮かぶのは、これらが誰にでも使う表現ではなく、原則として家族にのみ用いるものだということです。
もちろん近所の親しい人が「おかえり」と声をかけるようなことはありますが、それは例外的な用法でしょう。
日本語には「家族に対してのみ用いるあいさつ」というものがあるが、英語にはそのカテゴリーそのものが存在しないため、そういうあいさつは英訳できない、ということなのではないでしょうか。
(N. Hishida)
【引用文献】
Wilder, Laura Ingalls. On the Banks of Plum Creek. 1937. New York: Harper Collins, 1971.
(タイトルのBNはバックナンバーの略で、この記事は2012年8月に川村学園女子大学公式サイトに掲載された「えいごコラム」を再掲しています。)