「これほどの愛に私は値しないわ」-リリーのすべて

一方は愛との別れに涙し、他方は未来に笑う。そんな悲劇の実話。

一人の中に二人いる同一した性を私たちは想像だけでどうしてわかった気になるのだろう。性的マイノリティーを頭でっかちに考えていたと反省した。そこには混在する2つの心の表情に向き合う当人の辛さと、1つの心を愛する人の困惑と受容がある。

たとえそれが相手の幸せでも、愛する人が死ぬことを、正確には愛する人の内面が死ぬことを応援できるだろうか。

真実の姿はアイナー(男性的な内面)ではなくリリー(女性的な内面)だと気づき、手術によって性転換するためリリーが汽車に乗り込むシーンがある。ゲルダ(妻)は愛したアイナーが殺されることを悲しむ一方で、リリーは女性になれること、つまりアイデンティティーが確立されることの期待に喜んでいる。私はこのシーンでこんな悲劇があるのだろうかと愕然とした。ゲルダはこの日まで性の揺らぎに動揺するアイナーにずっと寄り添った。理解しようと満身創痍を尽くしていた。しかし結果は彼女を悲しませる。かといってリリーを拒絶することなく、愛する人ではなく、同性として向き合っていく姿はなんともたくましいものだった。

アイナーは自分の中の男性をあきらめた。だから変わった。それと同時にアイナーを愛したゲルダも変わった。愛する人ではなく同性の友人として接するようになった。

こうした彼女の強い精神は、この物語がエンドロールを迎えた後でも彼女が人生を生き抜く姿を想像させる。そこがこの映画をみる私たちを救ってくれた。彼女の姿勢があるからこそ性的マイノリティーに対する理解を遅ればせながら、すすめていく使命があると気づかせてくれる。


映画演出としては特に音楽がいい効果をもたらしていて、アイナーの内なる衝動を音楽が自然に表していた。巧みな表現方法だと思った。また、アイナーからリリーへ映画の空気感のまま変わるのだろうかという心配は素人の余計なおせっかいで、エディ・レッドメインの研究された所作が観客に違和を感じさせないすばらしさだった。

追記

この物語の本当の悲しみはアイナーがゲルダを愛したままリリーの中で死んでいくことであるように思う。

「これほどの愛に私は値しないわ」

内面は違えど、愛した人からかけられる言葉にこれほどまで空虚なものがあるだろうか?きっとリリーではなくアイナーのままでいられたなら、ゲルダの無償の愛はきっと浮かばれるのにと思わずにはいられなかった。(そのときリリーは静かに死んでいくのだけれど)


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20年ほど生きてきて友人と話していると結構みんな映画を見ていてしかも個性があることに気づいて、映画についての感想をもっといろんな人とお話ししたいと思って初めてみました。またこれが映画を観ようか迷ってる人の背中を押せたらなおはっぴーです。(紹介文として)