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身体と心とコルセット

最近、時間があればコルセットを身に着けている。近所のコンビニに行くくらいなら着けて行ってしまう。どこかを悪くしている訳では無いが、単純に姿勢が気になってきたからだ。コルセットをつけたからといって、結局は腹筋がなければ戻ってしまうから、あくまで感覚付けの用途で使っている。

嫌でも背筋が伸びる。少し背が高くなった気がする。

性格とは裏腹に胸を張って街を歩けている。

街角に映る姿勢の良い奇妙な自分を見ながら、

心もこれくらいピシッとならないものかと思う。

いや、考えてみれば心にもコルセットをつけていた時があった気がする。ヘタっているくせに、強引に誤魔化している時。

私の場合、それは「意地」と「憧れ」だ。そんなもの外せば楽になると分かりつつも、少しでも弱気になったり素直になることで、精神的に負けた気分になるのが嫌だった。だから「意地」というコルセットで感情・心をガチガチにしていた。一つの信念を持つことへの憧れ、「一歩踏み出したら行き先を変えるのは逃げ」という考え、「意志の強い人になりたい」という憧れ…。恋愛とかは特に顕著だった、「幸せになってやる」「振ったことを後悔させてやる」「私はあの人が居なくても幸せだ」とか。書き出せばキリがない。そのコルセットでガチガチになった心自体は一見ピシッとしていたものの、その実は本音と向き合っていなかった。それにつき全く成長など出来るわけがなかった。結局は自分から逃げて、強引に成長した気になっていただけ。身体で言うところの腹筋が成長してないのに無理するんだから、そりゃ当たり前にジワジワと壊れていくよなぁ…と反省する。

でも、時にその心のコルセットは諦めずに何かを取り組むことに役立つかもしれない。多少無理してでも諦めたくない人は、一層自分の心の声を敏感に聞くことが大事かもしれないなぁと思った。ピシッとしている心は、「そうみえているだけ」の可能性がある。「素直になること」=「心のコルセットを外すこと」だと思った。

ここからは余談。ここでは「コルセット」を自分が持っている「意地」「憧れ」と捉えたけれど、結局は「自分を縛っているもの」だ。そういうものは考え出すと結構ある、例えば「縛られている記憶」「縛られている言葉」「縛られている気持ち」などだ。縛られていることで見えない世界がある、時に縛られているもののおかげで背筋も伸びるかもしれないが、そこに自分の本音はあるのだろうか。ずっと考えてしまう。

何はともあれ、コルセットひとつでこんなに色々考えるとは思いもしなかった。そして、身体がそんなふうにヘタったら困るなぁと思ったので、ちゃんと腹筋をつけたいな、と決意した8月末の夜だった。



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