怒られることの本質
今回は本質について書いていこうと思います。
本質
本質って大雑把な表現ですが、凄い的を得た言葉だと感じます。
本質の言葉の意味は
そのものとして欠くことができない、最も大事な根本の性質・要
です。
私は以前から自分に正直に生きる、自分が思うように生きるべき
と散々言ってきて
転職しようと思ったり、勉強してステップアップを試みたり、
自分で起業的なことをしようとしたりしてきました。
しかし、今回ある転機があり自分を見つめ直す機会を頂きました。
この転機は正直ショッキングなことだったので、なかなか整理もついておらず未だ何が正解なのかと考えている最中です。
また普段は関わることのない人から助言を頂き、自分なりに受け止め考えました。
助言の内容は現在の仕事の考え方についてです。
その助言は今まで数々の人と出会ってきましたが、そのどれにも当てはまらない考え方ですごく新鮮でどこか哲学めいた考え方でした。
その考え方を享受して一気に自分の考え方に余裕ができましたし、仕事に対してもより真摯に向き合えるようになると確信しました。
その助言の一部を少し紹介したいと思います。
私は仕事であれもダメ、これもダメと毎日ダメ出しされ怒られて、嫌気が指していました。
自分の思い通りにできない。なんで怒られなあかんねん。とずっと思っていました。
そう思いながらも自分で考えたことを表現しそれに結果が伴わないことを恐れていました。
毎日毎日怒られていると自己肯定感が常に最低まで落ち気持ちも上の空で集中していると思い込んでいてもそんなこと間違える?と思うところでミスが起こってしまい、それでまた怒られるという悪循環に陥っていました。
自分の考えを言ってもどうせ却下されるし言わないでおこう
いつしかこう思うようになりました。
このことを助言をくれた人に言うと
怒られるということは肯定されてるよ?と言うのです。
矛盾すぎて、意味がわかりませんでした。
わからなさすぎて6回聞き直しました。
怒られる=否定
でも怒られる前に肯定がある。
怒られるということは君という存在や行ったことを認めて肯定しているから怒られるんやで。
こう助言してもらいました。
よく今まで若い間は怒られて育つ、怒られているうちが華など
怒られることをネガティブに捉えないようにという意味で色々な人から
教えてもらっていたもののやはり怒られることは嫌だし、怒られたくないし、怒られると腹が立つ。
でも怒られることの意味というか、怒られることの本質みたいなものを教えてもらったことでこれからはあまりネガティブに捉えなくていいかなと思えるようになりました。
この助言をくれた従兄弟には感謝したいです。
ちなみに従兄弟はあり得ないくらいの頑張り屋で
年齢は僕より14歳上で元々優しく考え方が大人でよく遊んでくれるまさに模範のようなお兄ちゃんって感じでしたが、家も遠いためあまり会う機会もなかったですが
よく転機のタイミングでは相談していました。
就職活動の時
そして今回
もうその従兄弟も管理職なので管理職の気持ちも踏まえながらも、今の自分の管理職とは全く違う考え方で改めてこの家系に生まれて色々なことが学べてよかったなと思います。
最後に
今回は怒られることについてでしたが、
物事の本質って凄く単純で
自分を大切にする
これに尽きます。
嫌ならやめる。
嫌でも頑張りたいと自分が思うなら続ける。
好きならやる。
嫌いだからやらない。
こんな感じです。
この従兄弟のおかげで少し哲学のことにも興味を持ち始めた私です。
もっと考え方や気持ちの真髄がわかるようにより深く勉強したいと思うようになりました。