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ありもしない

糸のように細い三日月を西の空に見ることができたら、なにかいいことがあるという。

三日月は、夕暮れどきのほんの短い時間しか、空に姿を現さない。
だから、それを見ることができたということは、幸運のしるしなのだという。

見ることが難しいものを見ることができたなら、そこで幸運を使い切った、ということにはならないのだろうか。
そこで幸運を使い切ってしまったから、そのあとに起こることなんて、ろくでもないことばかりにはならないのだろうか。


自分が何か努力をしたわけでもないのに、身に覚えのない幸せなことが降ってくると私は、これからいったいどんな酷い目に遭うんだろうと怖くなる。

幸せなことが今まさに起きているときでも、頭の中ではもうすでに、「これからいったいどんな深いどん底に突き落とされるんだろう」、「いつ落ちるいま落ちる」と震えている。

そうやって、ありもしない不安を生み出すことで私は、その先に、ありもしない幸せを作り出せると思っているのかもしれない。

いまある幸せを、ありもしない不安で潰して、ありもしない幸せを追う。

そうやって私は、ありもしない世界で生きている。


【今日のフクイチ】
今日も訳してます。ゲームです。すごくいいゲーム。
機密保持契約を結んでいるので、どんなゲームなのかくわしく書くと社会的に殺されてしまいます。なので、「すごくいいゲーム」、としか言えません。

でも、いまこのタイミングで訳させてもらえて、キミに出会えーて、ボクはほーんとーうによーかーったー(ふっふー!♪)、です。
頭がJポップになるぐらいいいゲーム。
どうか伝わってくれ。

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