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アクセサリー売りの少女

はっきりと覚えている。それは2016年のある月曜日の昼下がりだった。月も季節すらも覚えていない。でもそれが月曜日だったのははっきりと覚えている。

彼女は10才くらいだっただろうか。一人の女の子が私の元にやってきて話しかけてきた。日本の子供、いや大学生ですら比にならないほどの流暢な英語で、彼女はどうやって顧客に対して魅力的に商品を売りつけるかを理路整然と話してくれた。本当に頭がいい子だなあと思ったが、まあたまに、神童と呼ばれる人たちは存在する。でも彼女は他の神童とちょっと違うかもしれない。彼女は靴を履いていなかった。服も元の色が分からないくらいに薄汚れていた。手には皮肉なほどに光ったアクセサリーを持っていた。そう、彼女は観光客にお土産を売って生計を立てるストリート・チルドレンだった。

NPOとセックス・ツーリストの街

私が彼女に出会ったのは、カンボジアの首都プノンペンだ。プノンペンというのは不思議な街だ。貧困層を助けるために多くのNGO、NPO組織が存在する。だがそれと同時に、かつては裕福な欧米人にとって売春の聖地であったタイの取締り強化により、行き場所を失ったセックス・ツーリストが行き着いた場所でもある。タイで取締りが強化されたといっても、それでもまだある程度の売春は存在する。セックス・ツーリストの中でも児童売春など法的にだけでなく、社会的にも許容されない性的指向を持つものが辿り着く場所がカンボジア、とりわけプノンペンだった。チャリティー組織とセックス・ツーリストが混じり合う場所が、世界中で他にあるだろうか。互いが互いを忌み嫌い合っているのがひしひしと感じられる場所だ。

出会った日本人バックパッカーの多くに、プノンペンには行くなと言われた。危険だし大して面白くないというのが理由だった。だが実際行ってみたところ、あまり彼らの意見には賛同できない。確かに危険で違法なことが多いかもしれない。でも危険といってもあるのは麻薬や売春関連の違法行為がほとんどで、自ら関わりにいかなければそこまで危険に巻き込まれることはないはずだ。最悪な場合、ぼったくりやひったくりに合うかもしれないが、夜のロンドンやパリにはもっと危険なエリアが存在している。面白くないという面に関しても、確かに観光的なものを求めてたらあまり面白くないかもしれないが、前述のチャリティーとセックス・ツーリストのような変わった文化の混合はここでしか見られない。さらに、いくら貧困国とはいえ、ここまで首都が機能していないながら、なんとか国が国としての体裁を保っているというのは非常に興味深い観察対象だ。

ストリート・チルドレン

私は世界中で様々なストリート・チルドレンを見てきたが、プノンペンはその数も環境の悪さもトップレベルだ。街中どこにでも目に入り、観光客を見かけたら、大きな褐色の瞳で何かを訴えるように見つめながら追いかけてくる。中には親の怠惰で学校に行けず、子供の方が情に訴えかけられるからと強制的に働かされている子もいる。なので道端でそのような子たちに施しを授けるのには賛否両論あり、私もあまり賛成はできない。無邪気な子供の手を振り払うことは、それが長期的には彼らのためになると分かっていても心が裂かれるような気持ちだ。

そんなストリート・チルドレンに溢れた街、プノンペンのカフェでさっきの女の子に出会った。そのカフェはプノンペンのど真ん中にあって、隣は真昼間からやっている中が丸見えの売春宿だった。警察との癒着があるのでいつも安価なプリロールのジョイントを販売していた。私はどんな人が売春宿に入っていくのか、売春婦は客が来ない間何をしているかなどを観察しながら、ジョイントを嗜んでいた。

そんな大人の退廃的姿を一枚の絵に収めたかのような状況で、彼女は私の所へやってきた。彼女は手に持ったアクセサリーを売りに来たのだろうが、あまりその意思は感じられなかった。むしろもうお金稼ぐのなんか飽きたから暇つぶしに誰かと話したい、あわよくばお金も儲けたいという雰囲気を醸し出していた。彼女は私の元に来るや否や、彼女が売るアクセサリーは高すぎても安すぎてもいけない、適切な価格を探って売るのが一番効果的だといった内容の需要と供給について完璧な説明を私にしてくれた。そして、さらに売り上げを上げるには何か付加価値を付けないと、他の人から差別化されないということも教えてくれた。こんなに賢い10才児がカンボジアにいたのか。

子供の権利

冒頭に書いたように、私は彼女に会ったのが月曜日の昼下がりだということをはっきりと覚えている。なぜなら、こんなに賢い子がなぜ学校に行っていないのか、なぜ学校に行っていないのにこんなに賢いのかと強く衝撃を受けたからだ。彼女は、英語もビジネスの知識も全て、観光客と話すことで身につけていた。知識を身につけ学習する場が学校である必要性はないと思う。だがしかし、ここまでに賢い子が自身の能力に気づくことすらできず、プノンペンの道端で燻っていることがとても悔しくてもどかしかった。彼女だけではない。貧困のせいで芽を出すことできない才能がプノンペン中に、世界中に存在するのだ。

私は特別に子供好きではないし、むしろ苦手だ。それでも子供は世界中どこでも1番に守られるべき存在で、彼らの学習の場はどんな大人の身勝手によっても奪われるべきではない。


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