散文詩 ガラスの色をした河のほとりで(2010年)

――くずれおちていく、くずおれていく、粉屑になっていく、でもガラス粒になってそれはきれいに見える、幻の中に眼があってそれに見据えられている、無意識のままでおいてけぼりにされて、さばかれて、人は見たいものしかみない、わたしはあなたにそういう風に見られたかったのだと彼女は言う――夢のなかで、歪む、空間が引き伸ばされて同じ場所を見ている、同じ場所、でもここはどこだろう――人の、一文字も、一口も、抽象されることのない、平面に囲まれている、ガラス質の空間に捕えられている、そういう世界が広がっている、あなたがどこにいてもいい、わたしはここにいる、だけど他の言い方がわからない、体内の血が、うでさきからガチガチに凝固してガラス質になっていくのが怖い、そう、本当は痛いことだったのにこれは自然なことなんだって、自分に言い聞かせた、その分だけ、感じやすさをなくした、過剰さも、過敏さも、打ち解けたやさしさも、氷水のように、溶けてそれから流れてしまった、だからかもしれない、なにか大事なものまで水にとけて、流れてしまったような気がする――欲望の命じるままに生きている、欲望というよりそれは渇望と言うんだよと人から教わった、水が飲みたかったのにいくら飲んでも飲み足りないせいで最後には水が怖くなってしまう病気みたいに、はしっこい動物みたいな無邪気さもなくした、感じやすいということ、人の苦しみに共感できるやさしさがなければ、人をいたぶることの喜びもないのかもしれない、共感できるやさしさなんて、簡単に誰かになったつもりになれる、簡単に自分自身になったつもりになれるやさしさなんて、そんなものなのかもしれない、わたしはだれかをいたぶるための、自分自身をいたぶるための口実がほしかったのかもしれない、水に溶けて流れていったものが懐かしい、それはあなたとわたしが混ざり合った一粒の白い砂だったのかもしれなかった、ガラスの粒だったのかもしれなかった、それは何かの種だったのかもしれなかった、それは一番初めの場所にまで還っていくことができたのだろうか?――わたしはわたしの魂が生まれ育った場所に還りたい、でもそれがどこなのか判らない、そんなものはないのかもしれない、あるのかどうかを、確かめることのできないことなのかもしれない、だけれどわたしはガラスの塊になりたいと思う、皮膚も骨も血も神経も、研ぎ澄まされた結晶に変わってしまえばいいと思う、色彩も光もわたしを通りこしていくだろう、あなたがそばにいたとしても、もうわたしのことを見たりなんてしない、自分自身とわたしの向こう側の世界しかみえない、ほらガラスみたいに河が流れているでしょう?朝の陽射しを浴びている、それはきめ細かく張り巡らされた、銀色の運河で織り成された虹のように色彩をきらめかせている、一切が透明に凍り付いて、すべてが明晰になっていく、ほらそれはとてもきれいでしょう?でもわたしはいない、このわたしはいない、そうして、そのかわりにあなたはもうわたしに失望することもない、代わりにたやすく理解できる、たやすく切り分けることができる、ケーキみたいに、とてもやさしい存在になれるでしょう、たぶんわたしは疲れてしまっているのだと思う、もうずっと前から、あなたと会うよりもずっと前から、わたしは水の中で眠りたいと、あの青い深い水の底でいつまでも眠っていたいといつも想っていた、いいえ、きっとそういう風に思っていた人を愛していたのだと思う、そしてそのうちにもう自分が誰なのかわからなくなってしまったんだと思う、それなのにわたしはあたらしくあなたのことを愛してしまう、ただわたしのことを見ていてほしいと思う、わたしのことを心配してわたしの振る舞いに怒り、喜び、泣いて、わたしのことを傷つけて、あわよくばわたしに失望してほしいと思う――それはわたしが、さみしいからだ、わたしはさみしい、そしてあなたにそれをさとられたくなかったのかもしれない、あなたを苦しめたくなかったのかもしれない、傷つけたくなかったのかもしれない、だったら早く、傷つけてしまえばいいと思っていた、傷つけられたあなたの悲しそうな顔が、見たいと思った、そうすればわたしは自分の事以外は誰も愛せないと、もういちど感じることができるだろう、そうしてまた泣くのだろう、そう、もう二度と会わないでほしいとは決して言わない、あっちへ行け、なんて決して言わない、ただ、訳知り顔で、腹を立てた顔で、悲しそうな顔で、わたしと同じくらいにさみしそうな顔で、わたしの事を通り過ぎてほしいと思うだけだ、色彩みたいに、光みたいに、光のなかで、わたしがわたしを見捨てたと確かめることができる、わたしがあなたとわたしを見捨てたと確かめることができる、そうして、あなたがわたしを、あなたとわたしを、見捨てたのだと思い込むことができる、静かで、明るい、光の中で――そう、なんて愚かだったのだろう、どうして学ぶことができなかったのだろう、一体何が足りなかったのだろう、どうして立ち止まってしまうのだろう、とても簡単なことのはずだったのに、どうして自分の内側に閉じこもってしまったのだろう、どうして、どうしてわたしはこんなにもこどもっぽかったのだろう、どうしてわたしはこんなに弱いのだろう、いっそのこと誰よりも弱かったらよかった、生まれたばかりのこどもみたいに、誰からも愛されて、誰のことも愛したり憎んだりすることもなく――そう誰だってそうなのかもしれない、誰かのことを愛している時には、こんな風に誰よりも弱くなりたいのかもしれない、それができないから、周りすべてから愛されることが許されないから、すがりつくものを探してしまうのかもしれない、そう、わたしはよく言葉にすがりついた、そしてどうしてもわたし自身に縋り付かないではいられなかった、そう、いつのまにかわたしは自分をとりつくろっていた、わたしのことを愛してくれた人のことさえも取り繕っていた、すがりつくために――わたしはここにいる、あなたは、そうあなたはどこにいるのだろう?どこにいてもいい、だけれど本当はわたしのそばにいてほしい、今だけはわたしのそばにいてほしい、だけれどどうして、あなたは完全じゃないのに、わたしはあなたのことを愛してしまうのだろう、本当はだれでもよかったのかもしれないのに――精神化された同性愛のことを博愛主義というのだと誰かから教わった――そう、いつも誰かに執着しながら、いつだっておびえていた、鳴くことしかできない獣みたいに、小動物みたいに――誰かを好きになるか怖がったりかすることしかできない、こどもみたいに――わたしはまた誰かに対してどこにもいない母親を求めてしまうのだろうか?そしてそのせいで、どこにもいない母親の投影された恋人を怖がったり、執着したり、してしまうのだろうか――ここは冷たい、ここはとても寒い!――一人も、一文字も、一口も、抽象されることのない、平面に囲まれている、ガラス質の空間に捕えられている、そういう世界が広がっている、とても美しい、悲しそうに透き通っている静かな水晶の中にすべてが閉じ込められているような気がする、そして、今まで信じていたもののすべてがその向こう側で崩れ落ちていくような気がする――だからわたしはこんなにもさみしいのだ、だからわたしはこんなにも弱いのだと思う――だから、わたしはあなたのことを忘れることができないのだと思う、あなたがこのままわたしのことを通り過ぎるのを、待っていることができないのだと思う――

きっと誰かを愛するたびに、わたしはわたしが生まれた場所にまで、きっとわたしをわたしでいさせたものが、生まれ育ったその場所にまで、連れ戻されて、呼び戻される、一番はじめの、水の中まで、すべての、形が、自分をわすれて、やすらかにほどけて、うちとけた――冷たく、やさしい、闇の向こうで――きっとわたしは、だれかを愛したいだけだ、誰でもいいんだ、だけれど、今はあなたであってほしかったんだ――それは、こうして、この場所で、終わるのだろうか?そしたら、わたしは、どこにいくのだろうか?

何度も、何度も、確かなものを作り出そうとした、わたしを確かに認めさせてくれる場所を、わたしじしんに、確かめさせてくれる場所を、探そうとした、本当は無理に確認しなくてもいいことだったんだと思う、だけれど、わたしは信じたかったし、信じないではいられなかった、そうして、今でも、どこかで、信じているのだと思う――信じる、という、ひとつの言葉の響きが、輝きだすのは、決して確認できないものを、認めるために、生きさせるために――愛するために――はじめて信じる時に、確かに歌うことのできる、そういう、ひとつの――言葉なのだから。

(2010年執筆 2012年推敲)

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