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伊藤佑輔作品集2002~2018

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2002年から2018年にかけて書いた詩や小説やエッセーなどをまとめたものです。 ↓が序文です。参考にどうぞ。https://note.mu/keysanote/n/ne3560…
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#短編小説

小説 鏡のなかで(未完)(2005年)

第一章 ステレオタイプ 1 もうすぐ雨の降る雲の中に、紫色の、閃光質の火の手が上がり、冬の木の枝みたいに折れ曲がっていくのが見えた。それは色のついた蜘蛛の巣のまがい物みたいだった。俺が、こわくなってそこから逃げ出そうと思ったのはそういうわけで。けれどもいつでも、そういうときに逃げ出していくのはいつでも、自分の、溶けてしまって青白い洗剤にまみれてしまった時間の一部だけだっだ。結局は清潔になって世界のシャツになって世界の泥にまみれ―それからこうしてかき回されてしまう。そういう

小説 隅田川で(2006年)

 東京の、清澄白河のあたりに運送業者の会社があって、23才のセイジはその場所で働いていた。その日、仕事の帰りに隅田川を通った。そうしてあたりを散歩していたのだが、少し休もうと思って、川沿いのテラスに近寄ってみた。 ――その日はたしか7月ごろだったと思う。汚れたテラスの、白くて丸い、テーブルの上では、黒鉄色の働き蟻の群れが、うめうめうめうめ、散らばって動いていた。――少し朽ちかけて、ところどころで白い塗装の剥げている柱が、黒々としたテラスの屋根を支えていた。その屋根も、十四五本

小説 それでも彼女たちは充実していた(2007年)

 痛めつけられ、場合によっては踏みにじられて、台無しにさせられ――そうして自分たちの、いささか熟れすぎた肉体を、ぱっくりと破裂させられた状態ではあったが、それでも彼女たちは充実していた。天から墜落して、誰からも忘れられて。かつて彼女たちが長い時間と限られた空間を分かち合って過ごした、その柔らかくて透明な住居から、追放されて。そう、重力によって、あるいは墜落した時の衝撃によって、追放されてはいたのだが――そこから溢れて、流れでてしまってはいたのだが――それでも誰が見たってすぐわ

小説 冬の公園(2007年)

――その池のほとりのソメイヨシノは、痩せた体を包んでいた、しなやかで壊れやすいたくさんの緋色の衣たちを、地面にほとんど脱ぎ落としていた。蟲に食われた跡で一杯の紅葉葉たちを、ぽつりぽつりと梢に遺して。――この紅玉髄の小人たちのようにも見える無表情な薄片たちは、湿度の少ない風たちに自分をしずかに揺さぶらせていた。――そうして静かな水面には、今見たすべての一部始終が、陰になり、かすかにひらひら見えるのだった。 わたしは橋をわたって、中洲にある四阿(あずまや)の手すりから、目の前を

小説 プラル(2007年)

 わたしは自分が「プラル」だった頃のことを思い出している。体育の時間に「ヘレヘレ」を習った、きちんとできるまでに何年もかかった頃のことを。エメラルドの鉄棒に向かって、助走をつけて思い切りよく6本の後足を蹴って、勢い良く前足を巻き付かせる。その勢いでくるくると回転し、何回も廻った遠心力で、硬い甲羅で覆われている背中を反らして、向こうに向かってジャンプする。その時思い切り「べぎゃー!」と一声叫ばなければならない。その時のゼロコンマ秒の間で、如何に美しいフォームをつくって、飛ぶこと

小説 シャワー(2007年)

ほのじろい水のつぶてが、たわたわとうちつけてきて、気立てのよかった裸の気分を、すっかりこそぎ落としていく。かすかな衝撃の連続が、自我を繰り返して消滅させては再生させていく。向こうで開いた、脱衣所に通じるドアのむこうに、見覚えのある女の影がそっとたたずんでいる。なにもいわずに、見るともなしに、こっちを見ている。――だけれどわたしは、スポンジみたいに、カッテージチーズみたいに、体中に穴をあけられて崩れ落ちていく自分自身を省みている。なんの痛みも感じない。しだいしだいに輪郭をなくし

小説 レストランの悪夢(2003年)

レストランで、青ざめていく山脈と、海を見渡せる席について、わたしはテーブルに出された、カップグラスに入っているソーダ水の炭酸の泡たちをぼんやりと見つめていた。つぶらつぶらとした音たちが、ぱちぱちはじけて連続していた。透き通っている無数の球体たちは、周囲の風景をその球面に反射しながら、はじけては消え、それからまた生まれていった。この一瞬の生死を繰り返していく柔らかくてまるっこいものたちの集団を見ていると、まるで線香花火の真似事のようだとわたしは思った。 ――向こうから、黒い鉄

小説 20歳(2003年)

 秋爾(しゅうじ)は自分の棲んでいるアパートの廻りを、うつむき加減で歩いていた。――今彼の目には、敷き詰められているコンクリートが映っていた。けれどもそのコンクリートの表面は、血走った瞳をつけた、巨大な肉食の紫陽花みたいに隆起していた。まざまざと、目の前に縋り付いてくるみたいに。やんわりと自分の周囲でうごめいているものたちの気配を感じながら、秋爾はそのまま、ひたむきに歩いた。 近所の月極駐車場の一角に来てみた。するとそこでは白灰色のつぶらな砂利たちが、満面にばらまかれていた

小説 相模原で 1(2003年)

 散らばる事をやめない太陽の光の自然さを感じていた。けれどもそれは普段のようではなかった。おぞましいくらいに、やさしくて明るく、冷たい輝きだった。――僕は自分自身の心理的なリアリティーの中にあまりにも沈みこんでしまった、そう彼は感じた。――風景はそのせいで、匿名的な様相を帯びている――京王線の、橋本駅の駅前通りを、その瞳の水面に無言を湛えながらも、夥しくたち騒いでいる街中に、彼はひとりで立っていた。京王線の、片方のちょうど終点にあたるこの駅には、まだ新しい駅ビルが立っていて、

小説 相模原で 2(2003年)

 その時彼は、人通りの消えた街道の真ん中に立ち止まっていた。そうしてじぶんの体を確かめていた。両手のてのひらと、背骨と全身に、膝やかかとが熱を帯びはじめていた。はじめは遅く、緩やかだったけれども、それは次第に急激になって、白い光の液状みたいな、得たいのしれない流れにかわった。――全身の骨格や、それをとりまく筋肉の繊維が、そこらでくまなく張り巡らされた神経繊維どもが、どんどんどんどん熱気を帯びて、次から次に、紅の色にそめられていった。澄んだ流れが、次から次に、ポンプみたいに汲み

小説 知覚という名の夢のどこかで(2012年)

 天の奥から、神様の垂らした蜘蛛の糸が、途切れ途切れに、落ちてきていた。重力に圧されて、自分自身の形を忘れて、路面の片隅に追いやられていった。そこにはちょうど、大人の靴一つ分の湖が生まれた。 うなづくように。うなだれるように。 うつむきがちに降ってくる、幾千万もの透明が、音を立てては、ぶつかっていく。さんざめいている細い糸たちの紡いでいく、しらじらとした音楽にまぎれて、さまざまなイメージが、消えてしまった時の中から呼び戻されて、甦っていく。  すると静爾(せいじ)は、いつか

小説 蜘蛛の転身(2012年)

 春の夜だった。上野公園では外灯の照明が仄かに呼吸していた。瑣末な動きが秋爾(しゅうじ)の目にとまった。――植え込みの躑躅の茂みでは、上下左右に込み入っている木の葉や枝枝の間隙に、透明な投網でできた足場が、十重二十重にも指し渡されていた。そこにはやわらかい弾力があって、十本の生きた線分たち――誰かの髪の毛のように黒く毛羽立っている、燃えるような脚をつけた、奇妙な節足動物が――一匹の蜘蛛が、粘性のある白い糸をしうしうと吐き出しながら、蠢いていた。  その光景を思い出しながら、

小説 風子の記憶(2003年)

――履いている靴のつま先のあたりで、微かな土埃たちと一緒に、湿気の抜かれたそよ風が、そよそよとふきつけてきます。そこいらにまばらに生えている、淡い色をしたイネ科の植物たちは、鋭い葉先を繊ケと鳴らしています。 植物たちは、そうすることで、風の精霊たちに返事をしたためているようでした。 ――雑草たちの表面には、幾何学的な光彩がうっすらと滲んでいました。それはつややかに燃えているようで、同時に誰かを呼んでいるようでした。その無機物的なきらめきは、あたりをさまよう、風子(かぜこ)

小説 木造アパートの幽霊(2012年)

中央線の、高円寺駅から北口を十五分程度歩くと、街の賑わいは消え失せて、昭和の匂いをそこここに残した、人通りの少ない――鄙びた街並みが顔を覗かせます。――小さな建物の入り組んでいる、奥まった場所には、長屋のような、旧い集合住宅があります。 その古い木造アパートの軒の庇には、薄汚れたベージュ色をしている雨樋がついています。その雨樋は、プラスチックパイプでできていて、端の口からは、血のように紅い、瑞々しい液体が、ぽとぽとぽとぽと滴り落ちてきます。 その水の色は、たとえば、浅い傷