小説 知覚という名の夢のどこかで(2012年)

 天の奥から、神様の垂らした蜘蛛の糸が、途切れ途切れに、落ちてきていた。重力に圧されて、自分自身の形を忘れて、路面の片隅に追いやられていった。そこにはちょうど、大人の靴一つ分の湖が生まれた。
うなづくように。うなだれるように。
うつむきがちに降ってくる、幾千万もの透明が、音を立てては、ぶつかっていく。さんざめいている細い糸たちの紡いでいく、しらじらとした音楽にまぎれて、さまざまなイメージが、消えてしまった時の中から呼び戻されて、甦っていく。

 すると静爾(せいじ)は、いつかの自分の台詞を思い出していた。
それは押しやろうとしても、押しやろうとしても、いたる所で追いかけてきていた。
――なんであんな事を言ってしまったんだろう。
まるで軋轢のなかにとじこめられているみたいだ。
ここから出ていくことはどうやったらできるだろう。

――憂鬱な気分だった。
ふらつく身体で、小雨のぱらつく街を歩いていた。
――立ち止まって、ふうっと息を吐き出してみる。
さまざまな意識だとか、人の気持ちへの共感が、自分の中に入り込んでくるのを感じる。
一人きりのはずなのに、一人きりでいる気がしなかった。
自分のことも他人のことも忘れたくなった。
雫たちのせいで、意識が稀薄になっていくのは、却って清々しかった。
このまま自分の意識も消えて、何にも戻ってこなければいいのに。
そしたら一切はつめたい風に載って、飛ぶ塵になって、洗い流され、何も感じることもないから。
数え切れないくらいに生み出されていく、時の瑣末な切り傷たち。
――それらはみんな、この街の、いたるところの、路面の窪みに落ちていく。
溝という溝で、窪みという窪みで、他よりいっそう低いどこかで。
それらはみんな、落ちてくる立体から、平面に変わって、とけてはほどけて、消えていく。
鳥や子猫の鳴き声よりも、些細な声を出しながら。

――反射していくものたちの、つめたいシーツ。
不断に意識を通り過ぎては、その都度その都度、時をすみやかにもぎとっていくだろう。それはいろんな思いを連想させては、別の言葉や連想だとかを引き出していく。まるで何もないところから鳥を飛ばしたりハンカチを広げたりする手品師みたいに――そう、雨という手品師が、意識の上でハンカチをひろげては、様々な感情だとか、可能性だとか、想像だとか、思い出だとかを、いたわるようにつつみこんでは、手懐けていくように。

――静爾はこどもの頃に風を引いた時、ぼおっとしてくる熱さのせいで、真っ赤になっている額の上に、そうっと自然に押し当てられた、ひんやり湿ったタオルの感触を、ふいに思い出した。子供のころの病気の思い出というのは、それ自体がすでに幻に似ている。その当事者だった自分自身が、すでにもう、自分とは全く別の人間のようだから。こどもの自分は今の自分のことを知らないし、今の自分はこどもの頃の自分を知らない。そうしてきっと、未来の僕も、今のこの僕のことを知らないだろう――でもだとしたら、ここにいるのは誰なのだろう。はっきりしているのは、確かめることができるのは、今この場所で、しぜんに自分を主張している、感覚だけなのだろうか――だけどそれなら、今僕は僕自身よりもよっぽど、雨のことを感じている。そうして、雨を感じているこの僕の意識よりも、雨を感じさせている雨という現象の方が、よっぽどたしかに僕自身なのかしれない。

 今この瞬間のなかでは、ぼくはぼくの感覚の中で、たしかに雨になっている、少なくとも雨という出来事に吸収されて、僕の知覚は溶け込んでいる。まるで僕と一緒に雨が降っているみたいに。あたかも雨の中に僕は降っていて、僕の中に雨が降っているみたいに。そういう事を感じていると、まるで自分が、水と同じ成分でできた、なにか透明な物体であるような気がしてならなかった。――その感覚はまるで、すずしげな優しさのようだったし、しとやかな自由のようでもあった。それは、誰にも分かってほしくない時にも、誰にも声をかけてほしくないような時にも、何もいわずにただそばにいてくれて、そうしてあえてひとごとのように接してくれるような、ひかえめな気遣いのようだった。

――そういえばあの子も、僕と会っていた時には、気を遣ってくれていた。あの子なりにやさしかったっけ。そう、あの子なりのやり方で。それを彼女のやさしさと見るのか、心の弱さとか、やましさからと見るのかは自由だった。実際の所、起きたことはひとつしかないし、そこに過去の様々なできごとを連想して、当てはまる名前を付けていくのは、自分次第だった。――だけれどそうする必要がどこにあったろう、もともとそれは、宝石みたいに、光の加減と角度次第で、どんな風にでも輝くものだった。そこには一面的な言葉があるというよりも、様々な平面を受け入れるような、無垢な事態があるだけだった。すくなくとも、もはや彼女のことを責めたりする理由も、必要も、そこにはなかった――そういう風に感じることができるのは、それでひとつのなぐさめだった。

彼女はどうしているだろう?この同じ雨空の下で、今も生きていることは確かだろう。そうして、もしかしたらおんなじように、自分の感じる雨の中で、自分と雨とを交換しているのかもしれない、自分ではそのことに思いいたらないまま、彼女も雨になっているんだ――そういうことを考えるのは、なんとなく彼には快かった。できることなら彼女に会いたかった。でも今は、こうして一人で、自然に空から降ってくる、ダイアモンドに似た雨に――自分の意識を譲り渡して、そうして眠っていたかった。知覚の中で、知覚と言う名の――夢を見ながら。

(2012年)


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