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伊藤佑輔作品集2002~2018

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2002年から2018年にかけて書いた詩や小説やエッセーなどをまとめたものです。 ↓が序文です。参考にどうぞ。https://note.mu/keysanote/n/ne3560…
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#ゴシック

詩 境界線で(2004年)

その中心に穴を開けられたまま きみは橋の上にたたずんでいる 欄干に手をかけたままむこうを視ている 音も立てずにゆっくりと その手を少しだけ伸ばすと 雲の上には幾千ものひびがはしる その夜の中には無数の雪が舞っていてこちらを見ている 黒い神経繊維の渦に 深くかたどられた夢のなか 分解された物音の幻が移動する きみのなかにあるたった一つの命令 多分ぼくたちと同じように きみはそれに従い続ける そうすれば白く降っているものと一つになれる もう輪郭に脅かされることもなく 同じ名詞の

詩 口述筆記で(2004年)

口述筆記で空に刻んだ譜面からその眼の中に 一つの対位法をとって 次々に新しい色彩が流れ出ていく 彼女はテーブルの上に頬杖をついて 微笑みながら耳を澄ましている 色褪せた蜃気楼のように何かが浮き上がる それを受け止めているきみの背後で 水とは別のもので満たされた海の残響と一緒に 口にされることのないものが  感覚だけの悲鳴をあげる 型どおりの挨拶をしてぼくたちは別れる 遠くで何かを囁いている声たちの隙間から 過去は淀みなく溢れ出ていく きみを循環しているあらゆる液体と混ざり

詩 時間の硝子(2004年)

夜の老廃物である ひとつの人工世界樹のふもとで  鈍い音を立てて沈みこんでいく青空の下を 遠のいていくきみの背後で 名も知れぬ土地からの  揺れ動く黒い 光沢をもった翼の 尖った空飛ぶ生き物の群れが 次から次へと溶け始めていく 言語地層の丘陵地帯を 啄ばんでいく  マグネシウムの 瞬きでできた 微かにまぶしい火花を散らして それらすべてを映し出す 固体でも流体でもない 交合されるもの 少しずつ違う音色の悲鳴をあげてこの耳まで届く 塊になって 時間の脆い硝子の中で少しずつ

詩 アラベスク(2004年)

世界の体液は 苦すぎるから プラットフォームで 吐きだそうとするだれかの影が 呼吸の隙間に 投げ放たれる 星々よりも上手にさえずることができる銀色が においのない血と胃液に混ざって 歪んだ格子の 色鮮やかなアラベスクをつくりだしていく そこに住んでいるぼくたちすべての夜の下 冷たい空気に囲まれて ためらいがちに 白く遠のいていく静けさをかわす  ぼくたちすべての口をつたって まるで――まるで光に 切り裂かれていく歌の死が生まれる 涙の痕を 乾かしていく風の心地で やってく

散文詩 12月(2004年)

 あまりにも用意に彼は非充足を手に入れる、彼女のおかげで。硬く嵌め込まれている流線型の窓を通して彼女の沈黙が、いくつもの空に似たものを見ているとき、まなざしの軌道をこの手のそばにまで逸らそうとした彼の声が、声のなかの瞳が、白く溶けていく指が、指の中にある爪が、肌理の細かい光の粒になって、彼女の肌を透過していくのを見ていた。それが数え切れないほど壁という壁に反射してこの部屋を満たしていた。彼はただ感じていた。欲望でも愛でもないものを。憐れみでも喜びでも怒りでもなく、本当に眼を逸

散文詩 ガラスの色をした河のほとりで(2010年)

――くずれおちていく、くずおれていく、粉屑になっていく、でもガラス粒になってそれはきれいに見える、幻の中に眼があってそれに見据えられている、無意識のままでおいてけぼりにされて、さばかれて、人は見たいものしかみない、わたしはあなたにそういう風に見られたかったのだと彼女は言う――夢のなかで、歪む、空間が引き伸ばされて同じ場所を見ている、同じ場所、でもここはどこだろう――人の、一文字も、一口も、抽象されることのない、平面に囲まれている、ガラス質の空間に捕えられている、そういう世界が

散文詩 わたしたちは二人だった(2010年)

わたしたちは涙になったまま、凍りついている河面を浮かべて、お互いをみていた――その表面には小さな雪が、いつまでも降っている――スミレの茎よりも、蜘蛛の糸よりも痩せた体で、わたしたちの魂はもう一度そこに降り立っていた――どんなヴィジョンも、どんな音色もあらわにできない、反響だけで織り成されている、偶然の歌に引き寄せられたままで――それでも確かなあしどりは、夜明けのはじめに、息継ぐ間もなく途絶えていった、翳りの色に染められていた――そう、しんとした沈黙が、いつでも口をついて出て行

散文詩 雨/可愛い人(2010年)

その夢の向こう側で、あなたはわたしを知っている、あなたはわたしを呼んでいる、わたしの瞳を読んでいる――写真になった、記憶になった、わたしの瞳を、諳んじている、その髪の毛が揺れる、いつか、とても長い、激しい雨が降っていたのを憶えている、何度も、そこに貫かれる、つづけざまに降ってくる雨に打たれるように、何度も、その場所に貫かれる、そこでわたしたちは気付かないうちに、言葉でできた透明な網の目の中に囚われて、息もすることも出来ずに、ものになってしまったみたいに見える、そこでは生きてい

散文詩 対の世界で(2010年)

もっと上手にあたしのことをものにしてみせてよと口にした、きみの素顔をわすれさせていくものおとを追いかけていくあしどり、足跡のついた雪の道を、雲の道を、そう、張り巡らされた光の網目を、たどって歩いた、そこで、何が必要で、何を求めて、何を引きずり廻して遊ぶ気があるのか、今度雪の中で会った時に教えて、と笑った、あたしなんて囲いこまれてしまったらきっとひとたまりもない、簡単にスコップで掬い取られてしまうから、そう、あなたのからだのなかに棲んでいるおんなの人があたしのことを何て言ってい

散文詩 2011年4月の散文詩(2011年)

弦楽四重奏  弦楽四重奏の星月の音色が、七絃琴の銀色のひたいに融け合って、つまびかれていく指先の左に、碧いメノウの蜉蝣がとまる。すると彼女は赤いスモモの実の奥で瑞々しく鳴き声を上げる。その長い背筋は、戦乙女たちの歌声をとじこめている、桜色をしたヘリオロープやスミレ色をしたマンネンロウの花で組成されている。鉄の匂いを薫らせる、わたしの瞳の草原で――サテンの翼を広げた彼女は、空でしずかに絵を描いている。 抽象的な人魚  抽象、という名をしているうすい琥珀の幾何学的な皮膜のよ

散文詩 リリィ(2011年)

 くしけずられてはみかざられていく、どこまでも流れていく白痴のように碧い血の匂いがたちこめる。花曇りの空に綴じられていく、金細工の丈の高い王宮の一室で、きみの婚約者は眠っている、その名はリリィ、色褪せたブロンズ色の、タフタ織りに被われた膝を抱えて、薄い桜色を翳らせながら少し湿っている髪の毛、林檎色の朱味が指している灰白色の肌。触れただけで、さくさくと薄荷のように溶けてしまいそうな、繊細な銀結晶たちを宿らせた睫毛。すました耳の先で聴きとっている、深緑色をした、夜のやさしいベルベ