散文詩 2011年4月の散文詩(2011年)

弦楽四重奏

 弦楽四重奏の星月の音色が、七絃琴の銀色のひたいに融け合って、つまびかれていく指先の左に、碧いメノウの蜉蝣がとまる。すると彼女は赤いスモモの実の奥で瑞々しく鳴き声を上げる。その長い背筋は、戦乙女たちの歌声をとじこめている、桜色をしたヘリオロープやスミレ色をしたマンネンロウの花で組成されている。鉄の匂いを薫らせる、わたしの瞳の草原で――サテンの翼を広げた彼女は、空でしずかに絵を描いている。

抽象的な人魚

 抽象、という名をしているうすい琥珀の幾何学的な皮膜のようにとりつくろっている、果皮をゆびさきでひきちぎって剥がして、その淡水を泳いでいる滑らかな人魚の体の歌声に耳を澄ますと、おまえの愛らしい魂の鳥が羽織っているオーロラのタペストリーは、あたらしい絹糸で書き換えられる。すずなりになって聞こえてくる細波は、水泡と消えた子供たちの遊ぶ声を反芻する。そう、たしか彼女の指と指の間にはうすい鰭のようなものがついていたと思う。さっきからずっと、降り続いているたおやかな春雨が、曇りガラスの表面を少し嬉しそうに青褪めさせている――だから代わりに、彼女は女のように赤くなったり、壊れたランプみたいに黄色くなったりすることもできる。

片輪石、と、名付けられている方解石

 片輪石、と名の付いている方解石の変種みたいに、おまえのからだが砕けていくと、硬質なさみしさは軽やかな響きを空中にふきながしていく。碧玉の化身になったわたしの体は、運命の淡い羽衣をつけた血を流す。それは睫毛をつたっておまえの雪のように白い頬を滑り落ちていく。

竹下通り

 ちぎれおちた花々のように撒き散らされた暗がりに呑みこまれてしまった私たち。そう、春を奏でる植物たちのしずかな鼓動を、劇薬みたいに飲み下していく、夜のさなかに自分の半身を口移しさせて、存在しないスズランの花に変わってしまった私たち。微かな音楽を薫らせる冷たい粉末が赤々と燃える。排気ガスに青ざめているペイブメント。時々全身を揺らしながら、気絶した小さな星たちを風のなかに解き放っていくジャスミンの花の踊り子たち。彼らはみんな、花粉にまざって、竹下通りを行き交う、大勢の若い人たちの喉元や鼻腔を刺激する。

少年

 なまぬるい風がさみしそうに会釈をして去っていく季節になると、街という街では色とりどりの春の花が売られる。その一輪一輪で、口封じをされた泉の妖精たちが、解き放たれては揮発して死んでいくのを待ち焦がれている。家々の塀の上を行く猫たちの身のこなしもどこかいつもより軽やかなので不安になる。まだ生々しい湿り気を帯びた写真たち。ゼロ年代になってから新築された家たちのどこかで、椅子の叩きつけられる音がする。可哀想で無愛想な星の下に生まれた少年たちは島流しにさせられるだろう。細密画に描かれた、青空と瓦礫と廃棄物に満たされた島にまで。ひょっとしたらもう戻ってこられないかもしれない不幸者の島にまで。そういえばさっき通りですれちがったまだうら若い母親の白いレース織りの左胸のあたりには、まだいたいけでものもしらない子供がちいさくなってしがみついていた。焦げ茶色の巻き毛。淡いスモモ色を綴じ込めているやわらかな肌。咲き乱れている木蓮の白い花の匂い。赤味がかった百日紅の木のそばで。すべてが満たされたような美しい春の住宅街の真ん中で。だけれど一人の少年が、誰からも愛されないし誰のことも愛していないという少年らしいひとつの観念に意識のすべてをもてあそばれて、顔を歪めてさまよっている。黒い道路の片隅を流れている、排水溝に置き去りにされている、昨日の雨に汚されて泥まみれになった雑草たちを、見るともなしにまなざしながら。――そういえば薔薇の花の匂いをかぐといつも鉄の表面のように酸味がするどくて怖かった。金木犀の花の匂いは滑らかすぎてその中で溺れ死んでしまいそうで怖かった。自分の存在が怖いものになりうる、という事に傷ついた花々、そんな様子で、少年たちはとめどない不安さを、花の匂いのように感じとりながら生きているのだった。

壊血病と紅い蜘蛛

 体中の関節をしなやかに伸ばしたまま、昼下がりの街中で温度を忘れて白く凍り付いている菜の花の茎を無造作に手折ると、小さくて香ばしい音がして、わたしの脳髄は紅玉髄に変わってしまって光を無表情に反射させていく。ああ、涼しげで脆い魂の鋳型たち。まるで八本足の彼岸花のように、深紅の体をした女郎蜘蛛が、ガラス色をしている精神構造の中軸にとまって、玉虫色の強靭な糸を憂鬱色のように吐き出していく。わたしの思念は橄欖石をしきつめられた河原のようだ、その上を、いたいけな喋り方をするおまえの高い声が細い帯になって流れていく時、墜落してしまったせいで懐郷病と壊血病におかされてしまった星たちが、空とレモンの瑞々しい香りを執拗にねだりはじめる。気の毒な鳥のようにやわらかい体を狂ったように運動させながら。純正律の音階がひとりでに鳴り始める。おまえの残した、言葉の流れのつまさきの方では、午後の光がまぶしい縁飾りをつくっている。

不良少女

 恋人たちの悲しみは碧いサファイアのようにあたりを凍りつかせてしまうだろう。だけれどきみの心臓はルビーのように脈打って、生きようともがいているだろう。きみはいつでも、物心付いた後になってから無理やりに纏足された中国の少女みたいにあしもとが覚束無いでいた。だから見てると時々はらはらするんだ、まるで命取りみたいに、消毒されて殺菌された赤い縫針みたいに、社会制度がきみの背中を追いかけるだろう。不安に対してなら信じることができるときみは無意識のうちに感じ取っている。そして鉄柵を越えて裸足であるく。この場所はとても寒い。不安がっているきみの様子は弱くなった時の僕に似ているから、僕といつでも一緒にいられる、と彼は言った、いいや、そんなことは言ってなかったのかもしれない、それはきみがそう感じていただけなのかもしれない、問題はひとつの観念に囚えられていること、同じことしか想像できない、ということだ、見棄てられた工場跡地を取り巻いている荒れ果てた雑草の藪に出た。これからどこに行くべきなのだろう、そう、どうしたところで「べき」という名の正しさを、ひとりでに求めてしまっていることに、苛立ちながら、祈りをささげるみたいな気分で、きみは昏れていく空を眺めやっている。

雪花石膏

 雪花石膏の肌をしているきみの憂鬱に、月の光が紅い林檎色のしめやかさを添えていく。すると罰されないことの不安におびえているきみの分身は、苦い味がする海の深みへ降りていく。いつか誰よりも愛してくれた人がきみの体中に悲しみを文字のように刺繍したね、だから今日は傘もささずに雨に煙る街の中を歩こう、それならきみは好きなだけ人前で泣くことができる、だって誰にも分からないからきっと恥ずかしくもないだろう。いつまでもいつまでも降り続けている雨のせいできみの肌に刺青されている悲しみの碧い文字たちは滲んで見えなくなる、そしたらきみは濡れた小猫と同じように美しくなるだろう。だから誰でもほしいものをくれるだろう、ちゃんとほしいものをもらえるように、歌うように鳴くんだよ、手を抜いちゃだめだよ、だって一生懸命生きていれば、人はその分純粋になって、精神的には他の動物と区別がつかなくなるから。やっぱり濡れた猫と同じになれるんだ。猫と同じように単純なくせに謎めいているずるい生き物になれるよ。だけれどうまくいったら、その時はひょっとしたらきみは海からやってきた人魚のようにしか見えないかもしれないね。あるいはきみは自分のことを陸地にあがった人魚姫だと信じ込んでいる狂った女のようにしか見えないのかもしれない。でもそれだったら虚ろな瞳で誰彼無しに声をかけることだってできるよね、それはきみが残酷であることを証すのではなくて、ただきみが、人見知りもしないし差別もしない無邪気ないきものだということを証すだろう――昔の恋人のことなんて忘れてしまえばいいよ、涙はいつも、尽き果てることのないよるべなさを泉のように埋め合わせてくれるだろうから。僕はいつでも涙にすがって生きていたんだ、そうして今も、きみが別の誰かのことを思い出してしまうせいで――雨に煙る街の中を涙を流しながら歩いているんだ。嘘なんかじゃないよ。僕は自分が体験したことしか人には勧めたくないと思っているような人間なんだ、僕も昔は猫だったんだよ。

(2011年)


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