マガジンのカバー画像

伊藤佑輔作品集2002~2018

135
2002年から2018年にかけて書いた詩や小説やエッセーなどをまとめたものです。 ↓が序文です。参考にどうぞ。https://note.mu/keysanote/n/ne3560…
運営しているクリエイター

#幻想怪奇

小説 蛇をテーマにした3つの短編 (2003年)

1 喫茶店の蛇 僕はペン先を休める。疲労のあまり僕はペン先を休める。するとその青い万年筆は揺らぎだし、子供のころに町はずれの道路で見た百足のように蠕動をはじめて、ついにはペン先は毒針を秘めた蠍の尻尾になって注射針のように僕の手首の青黒い静脈を突き刺した。すると僕の静脈は山脈のように、地殻変動による造山運動のように隆起し、蛇のように乱暴にのた打ち回ったと思うや、一瞬にして僕の腕全体に広がった。するとそのまま僕の右腕はうろこ状に真っ黒になって勝手に動き始め、体全体が一匹の黒い蛇に

散文詩 工場の壊滅について(2004年)

地球上を何千キロメートルにもわたって建設されている工場の中で彼は働いていた。あまりの抑圧に彼は昏倒し、疲労が脳味噌を混濁させる。彼は働いている群集の中で発狂する。 退屈、退屈、命令、服従。 工場は不眠症に罹った滝のようだ。 工場はどろどろの規則のようだ。 工場は錆びたブロンズ色のタイムカードみたいだ。 工場は茶色い機械油の焦げていく臭いだ。 工場は切断されていく神経の手首だ。 交代制で侵入してくる無神経と薄紫に固まっていくセメントの想像だ。 工場はセメント作りのパン生地。

詩 境界線で(2004年)

その中心に穴を開けられたまま きみは橋の上にたたずんでいる 欄干に手をかけたままむこうを視ている 音も立てずにゆっくりと その手を少しだけ伸ばすと 雲の上には幾千ものひびがはしる その夜の中には無数の雪が舞っていてこちらを見ている 黒い神経繊維の渦に 深くかたどられた夢のなか 分解された物音の幻が移動する きみのなかにあるたった一つの命令 多分ぼくたちと同じように きみはそれに従い続ける そうすれば白く降っているものと一つになれる もう輪郭に脅かされることもなく 同じ名詞の

詩 口述筆記で(2004年)

口述筆記で空に刻んだ譜面からその眼の中に 一つの対位法をとって 次々に新しい色彩が流れ出ていく 彼女はテーブルの上に頬杖をついて 微笑みながら耳を澄ましている 色褪せた蜃気楼のように何かが浮き上がる それを受け止めているきみの背後で 水とは別のもので満たされた海の残響と一緒に 口にされることのないものが  感覚だけの悲鳴をあげる 型どおりの挨拶をしてぼくたちは別れる 遠くで何かを囁いている声たちの隙間から 過去は淀みなく溢れ出ていく きみを循環しているあらゆる液体と混ざり

詩 時間の硝子(2004年)

夜の老廃物である ひとつの人工世界樹のふもとで  鈍い音を立てて沈みこんでいく青空の下を 遠のいていくきみの背後で 名も知れぬ土地からの  揺れ動く黒い 光沢をもった翼の 尖った空飛ぶ生き物の群れが 次から次へと溶け始めていく 言語地層の丘陵地帯を 啄ばんでいく  マグネシウムの 瞬きでできた 微かにまぶしい火花を散らして それらすべてを映し出す 固体でも流体でもない 交合されるもの 少しずつ違う音色の悲鳴をあげてこの耳まで届く 塊になって 時間の脆い硝子の中で少しずつ

詩 アラベスク(2004年)

世界の体液は 苦すぎるから プラットフォームで 吐きだそうとするだれかの影が 呼吸の隙間に 投げ放たれる 星々よりも上手にさえずることができる銀色が においのない血と胃液に混ざって 歪んだ格子の 色鮮やかなアラベスクをつくりだしていく そこに住んでいるぼくたちすべての夜の下 冷たい空気に囲まれて ためらいがちに 白く遠のいていく静けさをかわす  ぼくたちすべての口をつたって まるで――まるで光に 切り裂かれていく歌の死が生まれる 涙の痕を 乾かしていく風の心地で やってく

散文詩 雨/可愛い人(2010年)

その夢の向こう側で、あなたはわたしを知っている、あなたはわたしを呼んでいる、わたしの瞳を読んでいる――写真になった、記憶になった、わたしの瞳を、諳んじている、その髪の毛が揺れる、いつか、とても長い、激しい雨が降っていたのを憶えている、何度も、そこに貫かれる、つづけざまに降ってくる雨に打たれるように、何度も、その場所に貫かれる、そこでわたしたちは気付かないうちに、言葉でできた透明な網の目の中に囚われて、息もすることも出来ずに、ものになってしまったみたいに見える、そこでは生きてい

小説 猫に助けられる(2012年)

 夕暮れの時刻だった。燃えているように赤い、まるでオレンジ色をした、液状化したトパーズみたいな黄昏だった。――この国の東の方にある東京の、渋谷の街に僕は立っている。スクランブル交差点の向こう側、街の大通りに面した、大きなビルには巨大なホログラム装置が置かれ、そこから中空に、ホログラフィーになった美少女アイドルグループが、カメラアングルを次々と変えながら歌って踊っていた。どうもこのアイドルたちは、人間ではなくて、CGか何かで合成されているらしく、観測する角度によって、色使いと硬

小説 レストランの悪夢(2003年)

レストランで、青ざめていく山脈と、海を見渡せる席について、わたしはテーブルに出された、カップグラスに入っているソーダ水の炭酸の泡たちをぼんやりと見つめていた。つぶらつぶらとした音たちが、ぱちぱちはじけて連続していた。透き通っている無数の球体たちは、周囲の風景をその球面に反射しながら、はじけては消え、それからまた生まれていった。この一瞬の生死を繰り返していく柔らかくてまるっこいものたちの集団を見ていると、まるで線香花火の真似事のようだとわたしは思った。 ――向こうから、黒い鉄

小説 20歳(2003年)

 秋爾(しゅうじ)は自分の棲んでいるアパートの廻りを、うつむき加減で歩いていた。――今彼の目には、敷き詰められているコンクリートが映っていた。けれどもそのコンクリートの表面は、血走った瞳をつけた、巨大な肉食の紫陽花みたいに隆起していた。まざまざと、目の前に縋り付いてくるみたいに。やんわりと自分の周囲でうごめいているものたちの気配を感じながら、秋爾はそのまま、ひたむきに歩いた。 近所の月極駐車場の一角に来てみた。するとそこでは白灰色のつぶらな砂利たちが、満面にばらまかれていた

小説 相模原で 1(2003年)

 散らばる事をやめない太陽の光の自然さを感じていた。けれどもそれは普段のようではなかった。おぞましいくらいに、やさしくて明るく、冷たい輝きだった。――僕は自分自身の心理的なリアリティーの中にあまりにも沈みこんでしまった、そう彼は感じた。――風景はそのせいで、匿名的な様相を帯びている――京王線の、橋本駅の駅前通りを、その瞳の水面に無言を湛えながらも、夥しくたち騒いでいる街中に、彼はひとりで立っていた。京王線の、片方のちょうど終点にあたるこの駅には、まだ新しい駅ビルが立っていて、

小説 相模原で 2(2003年)

 その時彼は、人通りの消えた街道の真ん中に立ち止まっていた。そうしてじぶんの体を確かめていた。両手のてのひらと、背骨と全身に、膝やかかとが熱を帯びはじめていた。はじめは遅く、緩やかだったけれども、それは次第に急激になって、白い光の液状みたいな、得たいのしれない流れにかわった。――全身の骨格や、それをとりまく筋肉の繊維が、そこらでくまなく張り巡らされた神経繊維どもが、どんどんどんどん熱気を帯びて、次から次に、紅の色にそめられていった。澄んだ流れが、次から次に、ポンプみたいに汲み

散文詩 宇宙的な相模原市(2004年)

青褪めた顔をして、みどり色をしている、風の分子たちは、喉と鼻腔に痛みを与えた。 彼の空間は、一度にすかすかになってしまった。 浸透圧が一気に低くなったような気分が、自分の体中を内側と外側から、被覆するように包み込んでいくのを感じた。 あるはずのない雲が、どこからともなく降りてきて、皮膚の廻りをつつみこんでくる。 たちどころに変動を起こして、しゅうしゅう、しゅうしゅうと音をたてていた。 見上げると、呵責なく自分の体を突撃させてくる、陽射しにやられて、真昼の月は、いつでもやさしい

小説 木造アパートの幽霊(2012年)

中央線の、高円寺駅から北口を十五分程度歩くと、街の賑わいは消え失せて、昭和の匂いをそこここに残した、人通りの少ない――鄙びた街並みが顔を覗かせます。――小さな建物の入り組んでいる、奥まった場所には、長屋のような、旧い集合住宅があります。 その古い木造アパートの軒の庇には、薄汚れたベージュ色をしている雨樋がついています。その雨樋は、プラスチックパイプでできていて、端の口からは、血のように紅い、瑞々しい液体が、ぽとぽとぽとぽと滴り落ちてきます。 その水の色は、たとえば、浅い傷