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記録・偏愛・その日に向けて−猫と暮らして(1)

私・見える彼ら・見えない彼ら

我が家には猫が二匹いる。目の前で餌を食べ、遊び、寝転がる。しかし、姿が見えないことも多い。移動のとき、足音を消してどこかへ歩いていったりもする。それなのに、確実に私の家に息づいている。どこかに気配がある。それが私には分かる。
目に見える彼らと家と一体となり空気として存在する彼ら。私は二種類の猫と日々暮らしている。

勝手・絡み合い・共に暮らすなぞ

猫には猫の勝手がある。人はその様子をわがままと呼んだり、気高いと呼んだりする。
夜明け前。眠い中叩き起こされて餌を要求される。
休日の昼下がり。床に寝てスマホを眺めていると、かまってほしいのか私の喉にのしかかる。私は息ができなくなる。
寒い日の夜。膝に乗る彼らは暖かく柔らかい。いつの間にか猫もこちらも寝てしまっている。あの心地よさが味わいたくて、猫を抱いて椅子に座ろうとする。しかし、そんな時彼らはするりとどこかに逃げていってしまう。
何気ない瞬間。猫が遠くからこちらを見ていることがある。見返すと目をそらされる。そうかと思えば、じっと見つめると、トコトコと寄ってきて頬を肘や膝にすりつけてくる。

ちぐはくのようで絡み合う人と猫。狩りの相棒だった犬が人間のパートナーになったのは理解しやすい。しかし、飼うことに目立った得もなく、自分の勝手を優先する猫をどうして人は選んだのか。いや、それとも猫が人を選んだのか。
別種が共に暮らす不思議を思い、気づいたらしばらく時が過ぎていた。猫の飼い主には、そんな人生のモーメントが確実にある。

記録・偏愛・その日

繰り返すが、私は2匹の猫と暮らしている。黒猫のクロと白猫のシロの兄弟猫だ。里親制度を利用して彼らを引き取った。出会う前に去勢を済ませていたため、雄特有の荒々しさは当初から無い。元の飼い主との関係が良好だったせいか、飼い主を困らせる行動はほとんどしない。
2020年の時点で彼らは6歳。出会って数年。光陰矢の如しというが、彼らが歳を取るたびに本当にそうだなと思う。
人間の寿命と猫のそれを比べることは残酷で、よほどのことが無い限り、私は彼らを看取ることになるだろう。「その日」を思わない日はない。関係を深めるたび「自分は彼らを幸せにしているのだろうか」「幸せな一生を送ってくれるだろうか」と考える。

「猫と暮らして」。これはやや私的な猫の記録であり、飼い主の偏愛の吐露が書かれた文章である。そして、彼らが私にまとわりつく空気そのものになってしまう「その日」に向けての心の準備の文章である。

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