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自律的に働く:つまるところ究極の働き方は中動態だろうか?

人生はままならない。それは重々わかってる。でも、なんとかならないか。人間はジレンマが原動力。そして、われわれは人生の多くを「働く」という動詞に費やしている。時の投資。同じ時間を投下するならリターンが大いに越したことはない。だから、できれば自由に、できれば自律的に働きたいと思うのは自然な欲求だと思う。その一方で、「働く」ということをどこまで理解できているか。自分自身もずいぶん長い間、ただ闇雲に働いてきた実感がある。10年ほど前に働き方を研究するプロジェクトに参加した。参加にあたって立てた論点は2つ。働くという文脈において、個人はどれほどの自由を欲するか、そして企業はどれほどの自由を許すか。絶対の答えはない。それも重々わかっていた。でも、どこまで本質を参加メンバーと了解できるかが大切。喧々諤々、是々非々。対話を続けた。その内容を動詞の形態から再編集。能動態・受動態、そして中動態。ポートフォリオを再編成しよう。

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