見出し画像

いやちょっとフラットアース説なんて考えられない【平面説の路地裏から】

今は西暦2023年の6月だ。日本では夏、オーストラリアでは冬だ。オーストラリアではサンタクロースは冬には来ない。彼は夏にサーフボードに載ってオーストラリアにやって来る。真っ赤なお鼻のトナカイさんは夏には働かない。ただ怠惰なだけなのかもしれないし、夏休みをもらってセミ捕りでもしているので忙しいのかもしれない。あるいは本来はサンタクロースはサーフィンが好きで得意なのだが、冬の海は寒いので、仕方なくトナカイさんにソリを引く業務を委託しているというだけかもしれない。わからない。ともかくここ日本では、今は2023年の6月だ。そして54年前の1969年、7月に、アポロ11号は月に行ったっていうのに、地球は丸くなくて宇宙が存在しないというフラットアース説がこの数年、SNSを中心に流行して、支持者を増やしている。よその国の話ではない。よその国でもだが、この日本でも、だ。

地球が丸くなくて宇宙が存在しない、というのは君の頭の中にある常識とは大きく乖離していることを僕はすすんで認める。認めざるを得ない。僕もそうだったからだ。そんなことは当たり前である。だが地球が丸くなくて宇宙は存在していなくて、自転も公転もしておらず、太陽や月と呼ばれるあの光がこの世界の上をくるくると周回している。こんなことはよく観察を行い、慎重に考えてゆけば、いずれ簡単にわかってくることである。難しいのは、それについて取り組み始め、考え始めることである。なぜならそれは君の頭の中にある常識とは、かなり大きく乖離しているからだ。僕はそれをすすんで認める。

事実が自分の常識とは違っている。しかしそんなことはこれまでの人類の歴史の中でもしばしば起こってきたことだし、君のささやかな人生の日々の上にも時々は起こってきたはずである。君はそれをすすんで認める。認めるはずだ。西洋ではかつて地球は宇宙の中心にあるのが常識だったが、今では地球は宇宙のそのへんに浮かんで爆走しているのが常識だ。80年前のドイツでは自国に住むユダヤ人を殺すことは良いことだったし、同じ頃の日本では天皇は神だったが後になって人間だったことを白状した。あるいは君が思春期の頃、異性の瞳に宿る恋の炎は純真なものだと信じていたかもしれないし、就職した会社の経営陣は君の人生や生活の事情をよく考えてくれるはずだと思っていたかもしれない。もちろん君の人生のことを僕は知らない。知らないが、かつて君は何かに裏切られたことがあるはずだ。裏切られたと感じたことがあるはずだ。思ってたのと違ってたことはあるはずだ。なんらかのサーヴィス業がやはり商売に過ぎないことを思い知らされたりしたことがあるはずだ。それだ。それが今回も起こる。しかし今回、君はそれについて考え始めることができない。なぜならあまりに規模が大き過ぎるし、なによりそれに触れてさえいないからだ。丹念に空や海や大地を見ぬくこともなく、誰かの言うがままに考え、そして生きて死ぬからだ。僕はそれをすすんで認める。僕もそうだったからだ。認めざるを得ない。トナカイを置き去りにしたサンタクロースがサーフボードで波を乗り上げて華麗に海岸にやってくるまで、僕は何も気づかなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?