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父とおでんと最後の言葉


父と交わした最後の言葉がわからない。

姉家族との同居を始め、人に料理を作る喜びを覚えた父がはりきって私に尋ねた
「お前も大根食べるか?」
だったかもしれない。
それとも
「たまご何個くらい食うんな?」
だった様な気もする。

どちらにせよ私は「うん」とか「はいはい」みたいに適当にあしらったのは確かだ。

それが父とかわす最後の言葉になるとは知らずに。

6年前の桜が見頃のある春の日に父は意識を失った。
母とは何十年と別居状態で、私たち姉妹が巣立ってからずっと祖母と二人きりだった父。
その祖母も亡くなってからは父は築100年、90坪の民家に独りで住んでいた。
人付き合いも苦手で定年後の父にとって、あの古い大きな家で一人でいる事はどんなに孤独だったろうか。
父はしょっちゅう近くに住む私をご飯に誘ったり県外に住む姉に電話で弱音を吐いていた。

姉家族との同居を始めてからは父は自らすすんで買い物に行き、料理を作り「〜食おら」「明日は〜作っちゃら」と姉家族だけではなく私にも電話をよこした。

私は正直うんざりしていた。
祖母が生きている時にも週に2、3回は顔を出し、そうじ洗濯料理にとあれやこれやとは手伝ってやっと家政婦卒業と思っていたのに。
まだ呼ばれるのか。

父の誘いの3回に2回は断り、週に1回程度は甥っ子会いたさだけの為に実家に顔を出した。
甥っ子は満面の笑みで接し、父の呼びかけに愛想のかけらも見せずに

それでも父はお構いなしに、私の表情も醸し出しているうんざり空気も微塵も読まずにおでんの話ばかりしている。
父がおでんの事で私に何か尋ねたけれど、面倒くさかった私は目も合わせずにあしらった。
父にはうんざりしていたがおでんは食べたかった。


「お父さん帰って来やんのやけど......。」
数日後、姉からLINEがきた。
残業疲れで自炊を済ませ、やっと一息ついていた私はまたもうんざりした。
だってまだ20時過ぎ。
「夜桜でも見に行ってるんちゃう?」
クッションに倒れ込みながらLINEを返す。
なんで60過ぎのおっさんの心配せなあかんのと思いつつ、いつも17時には夕食を食べる父なのにと考えながら寝落ちしていた。

目覚めたら姉と母親から何件も電話やLINEが届いていた。
急いで実家に向かうと別居中の母も来ており、今から捜索願いを出しにいく所だった。
14時頃に風呂屋に行くと義兄に告げた父は「夕方には帰ってくるわ〜」と言っていたらしい。

既に市内のスーパー銭湯には連絡をしたけれどプライバシーの権利やらで来店情報は教えてくれなかったと言う姉に
「あそこも電話した?」
「今日は天気良いし、ドライブがてら県外に行ってるかも。泉南のあそこは?」
と父の好きな銭湯をあげる。
そこまで思いつかなかったと言う姉と手分けして電話をかけたが、やはりプライバシーの権利とかで相手にしてもらえなかった。

もう警察に頼るしかなく、全員で車に乗り込みほんの数分走ったところで電話がなった。
県外からだった。
さっき電話をした銭湯が浴室内を見廻してくれて寝転び湯で声をかけても意識のない父を発見し救急搬送されたと言った。

脳梗塞だった。
父の娘夫婦と孫と同居という夢に見た老後の生活がはじまったばかりだったのに。


数日語ようやく目を開けた父は人形みたいで焦点が合わず、そこには感情もなかった。

意識を司る脳幹が損傷し、今後意識が戻るかもわからないと医者は言った。

......意識?

時々、目を開け手を挙げ頭を掻き足を動かしあくびをする父は私たちの呼びかけに返事をする事も私たちを呼ぶ事もできない。

それでも父は生きている。
手を握ればあたたかく、イヤホンで父の好きな昭和歌謡曲を爆音で流すとうるさいわ!みたいな顔もする。
少なくとも私にはそう見えた。
けれどそれは私が知る父とは全くの別人で、別世界に存在してる様だった。

父の耳元から漏れる坂本九を聴きながら私はちょっと泣いた。



その日は突然訪れて、私は父の死を直感的に思った。
「今夜がやまです。」と言われたわけでも病状が悪化したわけでもないのに、ただ今日で最後だと思った。

毎日仕事が終わってから病院に来て面会時間ギリギリまでいてたけど、今日はとっくに時間も過ぎている。
看護師が見回りに来ないのをいい事に私は父と病室で過ごした。
タオルで体を拭いたりマッサージしたりといつもの日課も終わっていた。

このまま朝までいようか?簡易ベットを用意してもらおうか?

病室を離れ難くて考えたけれど、大丈夫。また明日会えると自分言い聞かせて父に言った。

「また明日来るからな。」

——「そろそろ逝くわ。」

父の声だった。
倒れてから半年間、話すことも歩くことも食べることもできなかった父。

もちろん現実的に声を出すことは不可能なのに、別世界に存在する父からの声が聞こえた。

「何言ってんの?また明日来るからいててな?」

——「もう充分や。」

穏やかな声だった。
食べることが好きだった父が思う存分に食べ『もう腹いっぱい。満足や。』とでも言ってる様な声だった。

自分の直感を信じられなかった私は「また明日な。」と伝えたが、明日は今も来ていない。


思えばこの半年間、ここ数十年で一番家族が繋がっていたかもしれない。
エアポケットの様な日々の中で別居中の母も時々訪れ、姉は子供を連れ病室内は「じっじー」と明るい声が響き渡り、私は毎日父の手を握った。
父の手をじっくり見るのは初めてだった。

父は幸せだったかもしれない。
最後に家族の愛を感じ、満足して自分の人生を終わらせたのかもしれない。

現実世界の父と交わした最後の言葉がわからない。
けれど私は父の『もう充分や。』で充分なのである。

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