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自分という存在について。

初めに。
私の座右の銘は「いつ死んでもいいように生きていたい」だ。

私は5年程前に肺気胸という病気を患った。
患った当時、病院の先生にこう言われたことをずっと覚えている。

君は他の人より肺が弱い。これから先、肺に強く負担のかかる運動等は控えてね。今回は自然治癒で様子を見るけど、次空くことがあれば手術になると思ってね。」

当時私は、ソフトテニスに打ち込んでおり、指導の厳しい場で頑張っていたし、発症までに9年近く運動してきた自分にとっては信じられなかった。
正直「何故今更?」というのが本音だった。

肺気胸は、肺に穴が空き、肺から空気が漏れ出てしまう病気らしい。
軽症では呼吸時に胸に痛みを感じる程度だが、ひどくなると呼吸困難になることもあるのだとか。

その後、何年かに分け、数回の再発。
今から2年ちょっと前には、恐れていた手術を行った。

発症後、かかりつけの病院に駆け込んだ。
時すでに遅く、肺から漏れ出た空気が肺を潰してしまっていた。

急遽、大きな病院の救急外来にお世話になることに。
私は、レントゲン撮影後、部分麻酔で胸にメスを入れ、管を挿すことになった。

部分麻酔が効いているが、全身麻酔ではないため意識は覚醒しており、
メスを入れた痛みは無いが、管を入れる痛みを今でも鮮明に覚えている。

体内の筋肉?か何かに管が引っかかるため、押し込む必要があるのだが、体内に「グッ。グッ」と入ってくるのが分かるのだ。
苦しくてたまらない。
俗に言う、「気が狂いそう」という言葉がよく似合っていたかもしれない。

この管で、肺から漏れ出た空気を抜き、肺が膨らんでくるのを待つ。
肺が膨らむまでの間は、管を胸に挿したまま生活する必要がある。
膨らんだ後に手術の流れとなるからだ。

管を挿した後も苦しい時間は続いた。
管を挿している間はメスをいれた傷は治癒しない。動くと管による痛みが生じる。

生まれて初めて経験する痛みだった。
個人差はもちろんあると思うが、私は呼吸が一瞬止まってしまう程の痛みだった。

呼吸をしなきゃ。初めて "呼吸" を強く意識した。
生について考えた。

寝返りをうつこともできず、体が凝るため痛い。
肺の痛み、管の痛み、凝りの痛み。
全て投げ出したくなった。楽になりたい。
常にそう思っていた。

その状態で2週間ほど過ごした。
初めて入る手術室。
ステンレス素材が並んでおり、とても冷たい雰囲気。無機質。
そんな場所だった。

手術は全身麻酔で行われた。
全身麻酔、意地でもギリギリまで起きていようなんて馬鹿な事を考えていたが、目覚めたときには病室に居た。

術後の痛み、発熱、痛み止めの副作用である吐き気に苦しんだ。
こんな経験を通して、人は弱く、命は尊く儚い。
誰もが「死」を持ち合わせ、いつ亡くなってもおかしくないのだと学んだ。

自分も他も、約束された明日はない。
「いつ死んでもいいように生きていたい。」

これが私の座右の銘が決まった出来事だ。

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