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初めて書く創作小説(1) 夜、眠るまでの特別な時間

鈴木一美には特筆する趣味や特技はない。
休日は読書をしたり、ジムで体を動かしたりすることもあるが、基本、掃除や洗濯など家事をして過ごす。
唯一、好きなのは夜、眠るまでの時間である。


係長の山田が一美にショートでの作業を依頼した。
「できるかどうか…。」と一美が答えると、「仕事を選ぶな。」と山田は不満の声をあげた。
一美は「でも仕事割り振ってるの自分じゃん。」と言いたい気持ちを堪え、話を早々に切り上げて不機嫌そうに自席に戻った。

「安定している」ことが謳い文句の公務員になって9年になる。
確かに、給料面だけみれば安定している。
しかし、人間関係が最悪で、一美には居場所がない。
周囲は学歴自慢や彼氏・旦那・子ども自慢ばかりをする。
一美は就職して以降、ずっと彼氏がいない。
一美も名の知れた大学を卒業しているが、その話をすると学歴自慢の話から彼氏・旦那・子ども自慢に切り替わることは明白だ。
居場所がない。
故に自分から積極的に職場で話すことはない。

先輩の三山から「鈴木さん、あれついでにやっといたから、窓口対応お願いできる?」と声がかかった。
恩着せがましい。
「あれやっといた」って頼んでもいないのに。
後、「ついで」って何?


「頼んでねぇよ、勝手にそっちが呼んだのによ。」
そもそも何の手続きのことなのかを、まず教えてほしい。

「公務員様は高給とりだもんな。良い身分だな。
お前、朝食は米だったか?里芋だったか?さつまいもか?
良いか、手続きの一回一回が、書類の一枚一枚が、お前たちの給料になっているんだ。
里芋やさつまいもを食わなくて米を食えるのはな、
手続きの一回一回、書類の一枚一枚が、米に変わってるんだよ。
毎日手を合わせて、住民様ありがとうございますって米食ってんのかよ。
神様、仏様、住民様だろうが!」

以前、「辛い苦情対応の積み重ねが我が子のミルクになるから」という先輩と出会ったことがある。
そういう仕事の価値観、割り切り方もあるだろう。
だが、「手続きの一回一回が、書類の一枚一枚が、米に変わる」ことは決してない。
私が頑張って働いたからこそ、米を食べていけるのだ。
三山先輩め、めんどくさそうだから私に振ったな。

結局、三山先輩に対応をお願いしたものの、対応が長引いてお昼の時間を過ぎたため、一美は昼食を食べる時間がとれなかった。
係長の山田に食べても良いか尋ねると、「給湯室でなら良い。」とのこと。
椅子のない給湯室で手製のおにぎりを立ったまま食べた。
座って食べられるだけ、トイレで食べた方がマシかもしれない。

自席に戻ると、三山が急に「一美さん、この前の紅茶パックのお礼」と箱入りのフルーツティーのセットを一美に渡した。
たった一つの紅茶パックのお礼で箱入りのフルーツティーのセットは大袈裟だ。
しかも、こうした場合、セットの中身を取り出して、フルーツティーを一つ一つ周囲に配ってまわるのは年次的に一美の役割である。
男性陣は「おっ、三山さんからか。三山さん、ごちそうになります。」と嬉しそうだ。
人の気も知らないで。
しかも、これでは私へのお礼になっていない。私には何もメリットがない。
三山に「あのフルーツティーのセット、男性陣へのアピール代を含めたら安くつきましたね。」と言ってやりたい。

終業のチャイムが鳴った。係長の山田と三山が帰り際、軽い感じで「今日のことは考えないようにしよ。」と言った。
一美は山田からのショートの作業依頼に加え、窓口対応の手こずりもあり、今日は一人残って残業だ。

夕食は明日の昼食のおにぎりのためにご飯だけ炊いて、おかずはスーパーの惣菜が2つ。
何を食べたかもうっすらとしか覚えていない。確か、サラダと揚げ物だった。

鈴木一美の唯一の楽しみは夜寝る前の、眠りにつくまでの時間だ。
この時間だけは誰にも邪魔されない。自分だけの時間。
一日のハイライトをしながら眠りにつくのだ。


夜、寝つくまでは特別な時間。
紅茶パックのお返しは箱入りのフルーツティー、なんて大袈裟な。

夜、寝つくまでは特別な時間。
配ってまわるのは私、反応は計算入り、むしろ安上がりだな。

眠るまでは特別な時間。
「ついでにやった」って恩着せがましい。

眠るまでは特別な時間。
「考えちゃう」から悩んでんじゃん。

ベッドの中での特別な時間。
私だけの特別な時間。

ベッドの中での特別な時間。
眠りにつくまでは私だけの時間。


今日の一番はあの窓口対応だ。
でも、「手続きの一回一回が、書類の一枚一枚が、米に変わる」という発想力は豊かだったから、ああいうのを活かせれば、きっと日本が豊かになる。
発想力の活かせそうな場所、わかんないけど。


夜、眠るまでは特別な時間…。
日中の出来事が、のんびりとした考えに変わっていく。
鈴木一美が最も大切にしている時間であり、大好きな時間である。

そして、ゆっくりと眠りに落ちていく…。

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