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文章を書くことが好きだ。


僕は昔から、文章を読むのが好きだ。

そして、同じくらい文章を書くことも好きだ。


でも、書くことが好きだということを言い始めたのはかなり最近のこと。
なぜなら、シンプルに恥ずかしかったから。



僕が自分で文章を書き始めたのは、多分小学6年生くらいからだったと思う。
当時の僕は、夏休みの宿題の1日1言日記みたいなやつが好きだった。
あの宿題をめちゃくちゃ真面目にやっていた奴なんて僕くらいではないだろうか。
あの日記に書ける文章なんてせいぜい二文くらいで、今のTwitterよりも短かったと思うが、それでも自分の文章を毎日書き綴ることができるのが好きだった。
この頃から僕には、自分で文章を書きたいという欲があったのだと思う。



読書が好きだったとはいえ、活字の本を読まない時期もあった。それは、漫画という存在に出会ったから。

僕が初めて読んだ小説は、小学校の図書室には必ずあるといっても過言ではない、「デルトラクエスト」だ。(今もあるのかな。)
他にも、「ダレン・シャンシリーズ」や「デモナータシリーズ」、「ハリーポッターシリーズ」を小学生のうちに読んだ。
これらに共通しているのは、全て海外作家によるファンタジー冒険物語ということだ。
この時から僕は、自分の生きる世界とはかけ離れたファンタジーの世界にのめり込む節があった。

だからこそ、漫画にも一瞬でのめり込んだ。「ONE PIECE」や「NARUTO」はもちろん、「犬夜叉」「BLEACH」「家庭教師ヒットマンREBORN!」「鋼の錬金術師」。当時どハマりしていた漫画をとっても、やはり自分の生きる世界とは異なる世界観が特徴的なものばかりだ。

この頃、僕の世界を少し変えた漫画がある。
「バクマン。」という漫画だ。
これは、あの「DEATH NOTE」を連載していた2人、原作:大場つぐみ、作画:小畑健のタッグによる少年ジャンプ連載を目指す漫画家のストーリーを描いた漫画だが、僕はこの作品を読んで、原作と作画を分ける漫画があることを初めて知った。これが、僕が文章を書くようになるきっかけとなった。



僕は昔から、影響されやすいタイプの人間だ。
これは今でも全く変わっておらず、「鬼滅の刃」にハマれば、全集中の呼吸を使うし、「HUNTER×HUNTER」にハマれば、水見式を行い、自分の念能力を真剣に考える。
例によって、そんな厨二病の僕は、「バクマン。」を読んで漫画家になりたいと思った。

だが、絵を描けない。
ルフィの絵や少女漫画の絵を本気でノートに模写したことがある。これに関しては、我ながらめちゃくちゃ上手だった。しかし、あくまで模写。自分で構図を考えて、手本のない絵を描くのは本当に難しかった。
そしてなにより、続かなかった。
絵を描く練習は、たしか3ヶ月くらいで辞めてしまった。練習とはいえ、結局自分がやっていたのは模写ばかりで、特にONE PIECEの絵はかなり描いたと思う。
模写が続いたのは、シンプルにうまく描けたのと楽しかったからだ。自分の絵を描こうとした瞬間、続かなくなり模写も飽きてしまった。
そんな時、バクマン。を読み返していると思い出した。
そういえば、作画はできる人に任せて、原作のストーリーを考えるだけでもいいんだ。

そうして、僕は厨二病特有の自作小説を書き始めることとなる。
当時、ラノベというのが流行っていたのか、まだ流行っていなかったのかは覚えていないが、その時の僕はラノベという存在は知らなかった。あくまで漫画の原作だと思いながら、物語を作った。
今思えば、僕が書いていたのは出来損ないのライトノベルだったと思う。

僕にとっては、世界観が最も大事だった。
漫画でも小説でも、読めばその世界に没頭できるのが、創作物のいいところだと思っていたからだ。
そんな僕が、漫画の原作となる小説を書き始めたのだから、世界観を作り込むのは当然のことだった。
なんと、僕は小説の一文目を書き始める前の段階、世界観や主要人物の設定作りに3ヶ月をかけた。
我ながら、今思い返しても凄まじい情熱だった。正直、あれを今真剣に書き、完成させていたら、「小説家になろう」とか「エブリスタ」とかに投稿すればワンチャンあったんじゃないかというレベルの作り込みだった。
(※「小説家になろう」「エブリスタ」は小説投稿サイトのこと)

さすがに自信過剰すぎるが、それほどの自信を持てるくらいの念入りな作り込みだったのだ。ちなみに、「ワールドトリガー」という漫画があるが、あれの世界観にかなり近い。僕は「ワールドトリガー」の連載が始まったとき、これが売れるならおれのも売れたと思ったくらいだ。むしろワールドトリガーよりも面白いのに、なんてことを思っていた。
我ながら本当にナルシストが過ぎる。
そもそもこういうものは書き切って、応募したり、人に読ませるところからがスタートであって、結局恥ずかしさに負けてこっそり書き続け、誰にも見せることなく途中で書くのを辞めてしまったような奴が何を言っているんだ、と当時の自分を説教してやりたい。

とはいえ、当時中学生の僕にとっては、そんな勘違いを起こすくらい熱心に取り組んでいた。
3ヶ月の設定作りの後、おそらく半年くらいは書き続けていた。


毎晩、自分の書く小説の夢を見た。
今となっては自分でも驚くべきことだが、この時の僕は夢を毎日見ていて、なおかつ続きが見れるという特殊能力を身につけていた。
信じてもらえないかもしれないが、自分が主人公になり、自分の考えた世界での物語を、アニメの続きを見るように毎晩見れたのだ。
しかも、自分が現実に書き進めているところではなく、その先が見れた。
僕は小説を書いていたが、実質、毎晩見る夢を書き起こしていたようなものだった。


皆さんは、「明晰夢」というものを聞いたことがあるだろうか。
これは「自分が今夢を見ていると自覚した状態で夢を見ること」で、自分が自由に操れる夢だ。
僕は当時、この「明晰夢」にかなり近い状態になっていたんじゃないかと思う。自由自在に操れていたかと言われれば、そうではなかったが、自分の頭の中にある続きの構想、展開を夢の中で無意識に見ていたのではないか。

僕は「明晰夢」という存在を当時知らなかったが、のちにこの存在を知り、オカルト的な感じもしたが、これを真剣に研究している人もいた。
そして、「明晰夢」を見るために有効とされていたのが「夢日記」だ。
これは毎日見た夢を日記として書き続ける、というものだった。
僕はこれを知った時、驚いた。
当時の僕は小説を書くつもりで、無意識に夢日記を半年も続けていたのだ。
だからこそ、「明晰夢」に近い状態に入れたのかもしれない。
「夢日記」については、調べていくと怖いことも書いてあったので、僕は続けていなくて良かったとホッとしたのを覚えている。



というような経験も踏まえると、本当に僕は取り憑かれたように小説を書いていたのだと思う。
それを辞めてしまったのは、シンプルな飽きと人に見せられない、という弱さだった。
あくまで中学生だった僕は、小説以外に楽しいこともあったし、おそらく自分の発想力の限界に達し、自分の書いている小説自体もつまらなく感じてきてしまったんだと思う。
そんなとき、読んでもらえる友人がいたら、もしかしたら何かが変わっていたかもしれない。
これに関しては、今でも少し後悔している。

僕は厨二病だったが、厨二病であることを自覚しており、厨二病はダサいという意識もしっかりとあった。
また、僕は根っからのイジられキャラだ。
僕が中学時代に入っていたのはバスケ部で、周りには少しオラついてるくらいの奴らが多かった。そんななかでイジられキャラの僕が、小説を書いている、なんて言えるわけがなかった。
人に見せ、感想をもらったり、アドバイスをもらったりしていれば、モチベーションも続いていたかもしれない。



僕が高校生になった頃、iPhone4が発売された。これを機に、世の中のネット社会は急速に発展した。
そんな中で、小説投稿サイトを知った。
ガラケー時代からそういうサイトはあったと思うが、僕は知らなかった。
その存在を知った後は、よくサイトに投稿されている素人の小説を読んだ。
その中でも特に記憶に残っているのは、「王様ゲーム」と「ブラックアウト」という小説だ。
この2つは知っている人もいるかもしれないが、かなりの人気作で書籍化、漫画化もしている。
この作品を読んでいる間も、僕は自分が書き続けることができなかったことを後悔していた。
今思えば、そこからでも再び書き始めて、投稿してみればよかったものを、高校時代の僕は小説を書くことよりも部活動、テニスにハマってしまったのだった。

高校時代について言えば、小説と離れてしまった期間だと言える。
まず、部活で始めたテニスにどっぷりハマっていたことと、小説が好きという人が周りに居なさすぎた。これは今でも思うことだが、世の人たち、本読まなすぎだと思う。
まあ、探せばいたんだろうし、自らそういう環境に行かなかったということは僕自身、大して強い気持ちがあったわけでもないんだろう。

読書は第3の趣味くらいまで降格してしまっていた。テニス、映画、読書。くらいの感じだ。
元々映画も好きだったんだが、これについては長くなってしまいそうなので、省略する。
とにかく、本を読む習慣や文章を書く習慣がなくなってしまっていた。
それでも、年に数冊ペースで小説は読んでいたし、自分の好きな作家の新作はチェックしていた。
しかし、文章を書くようなことはなかった。
何かを書いたって、誰かに読ませるわけでもない。ただ自分で見返すだけなのだから。
何度か日記をつけようとしたこともあった。
それもすべて三日坊主で終わった。

世の中には、誰にも見せることのない文章をただひたすら書き綴ることのできる人もいるんだろう。
すごい、尊敬する。
僕にとって文章を書く行為は創作行為だ。
誰にとっても意味のない文章だとしても、僕の脳みその中でゆらゆらと漂う思いや言葉を、引っ張り出して、整理して、文字に起こすことは無意味ではない。
そのままでは気づかなかったこと、点と点がつながること、知っていたのに分かっていなかったこと、新しい発見が自分の中から生まれるのだ。
最高の体験だ。こんなに気持ちのいいことはない。
自分にとってこんなに意味のある言葉なら、誰かもう一人くらいこの言葉たちに意味を感じる人がいたっていいだろう。
僕はそんな欲をだしてしまう性格なのだ。



時代がどんどん変わり、TwitterやInstagramなどSNSで自分の言葉や経験を発信することは当たり前になった。
そのおかげで、僕は再び文章を書くようになった。
noteという文章を綴るためのプラットフォームがあることは知っていた。それでも始められなかったのはやはりまだ恥ずかしさがあったからだ。

僕が勇気を出して、自分の文章をさらけ出せるようになったのは、これも一冊の本のおかげだ。
何のことはない、今自分がしたいことがあるならすぐやれ、というだけの内容だ。よくある自己啓発本とたいして変わらない。
それでも、僕はこの本に救われた。
別に僕は、文章を書くことを仕事にしたいと思ったことはない。
でも、いろんな人が僕の生み出す言葉を読んでくれて、少しでもその人にとって意味を与えられたらものすごくうれしいと思う。

というか、ここまで読んでくれたあなたに心から感謝します。
僕の承認欲求を満たしてくれてありがとう。(笑)
ここまででかなり長くなってしまったので、もう終わろうと思うんですが、実は途中でもっと書きたくなったので、それについてはまた別の記事として書こうと思います。
僕の文章に少しでも好感を持ってくれたなら、たまに読みに来てください。
あと、スキしてくれたり、コメントしてくれた人は好きになります。(笑)
冗談です。



最後に、冒頭の言葉を訂正しようと思う。


僕は昔から、文章を読むのが好きだ。

そして、それ以上に文章を書くことが好きだ。




         けびん


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