したいことを好きなだけするようになったら、人生が楽しすぎる。
衝動的に書きたくなったことを書きます。
僕は2020年9月に会社員を辞めてからというもの、「その瞬間したいことを好きなだけしてやる」という生き方をしています。
歌を歌いたい気分だから5時間ヒトカラしてみたり、
なんとなく絵を描きたくなったから中学時代の絵の具とパレットを引っ張り出して風景画を描いてみたり、
楽器を弾けるようになりたいからYouTubeを見ながら借り物のウクレレを練習してみたり、
テニスをしたくなったらたとえ人が集まらなくても後輩を呼びつけて2人でテニスをしに行ったり、
映画を観るのが好きだから3週間以上毎日映画を観てみたり、
文章を書くのが好きだからwebライターになってみたり、
今の生活に飽きたからニセコに移り住んでみたり、
海外生活に憧れるから語学留学に行ってみようとしていたり。
そうすると、毎日が楽しくて仕方がなくなってきました。
これははじめ、僕が生き方を変えたからだと思いました。
レールの上を歩くのを辞め、自分の心に正直に生きるようになったからだと。
しかし、それは違いました。
違うというか、それはもちろんきっかけではあるけれど、本質的なところは別のところにあると気が付きました。
それは、「僕が周りの人に恵まれているから」です。
僕の周りにいるのはなぜか、僕を肯定してくれる人ばかりです。
僕がサラリーマンを辞めてフラフラしていても、そんな生き方続かないし、就活しろよ、とか誰にも言われません。
むしろ社会人を頑張りながら、一緒に遊ぶためにニセコまで車で片道2時間かけて迎えにきてくれたり、
僕がしようとすることをいいじゃんと肯定して応援してくれたり、
こっそりnoteを読んでくれていたりします。
僕は今かなりストレスフリーな生活をしているけれど、周りの人たちはそうではないわけです。
普段は僕の想像の及ばないような仕事のストレスやさまざまな苦労を抱えているはずなのにも関わらず、みんな学生時代から変わらずに遊んでくれます。
僕は今人生が楽しすぎて不安になるレベルなのですが、それは自分がしたいことを好きなだけするようになったからじゃなく、したいことを好きなだけしても一緒にいてくれる人たちがいるからなんだなぁと心から思いました。
なんだかんだ両親も、(大学にまで行かせたのにコイツは、、とか思ってるかもしれませんが、)留学に行くことを許してくれたし、基本的に僕の気持ちを優先させてくれています。
つくづく、周りの人に恵まれているなあと感じます。
さらに、こんな自由な生活を続けていると、
人との出会いが増えていきます。
毎日同じ会社に通う立場ではないからこそ、
仕事を転々と変えて新しい人に出会えるし、
住むところを変えて新しい人に出会えるし、
自由な時間が多いからこそ、色んなコミュニティに顔を出したりすることができます。
僕が英語を学んだり語学留学に行くのは、単に海外への憧れだけでなく、「世界中の人と友達になりたいから」です。
僕は人と、言葉でもスポーツでもお酒でも遊びでも音楽でもなんでもいいから関わって、コミュニケーションを取ることが好きです。それが楽しいし、人生を通して"したいこと"です。
つまり、「コミュニケーションを図れる範囲を増やすこと」が僕にとっての"すべきこと"なのかもしれません。
英語を話せるようになることは、あくまでその一つの手段であり、英語が話せなくても、札幌からニセコに移るだけでコミュニケーションを図れる範囲は広がるし、友達の友達と遊ぶだけでもその範囲は広がります。
僕にとっては、海外留学も、ニセコ移住も、友達と遊ぶことも、こうしてnoteに文章を投稿することも、等しく、その範囲を広げる行為なのです。
言ってしまえば、"したいことをすること"が"すべきこと"でもあり、それが巡り巡って"したいことをし続ける"ことに繋がるということです。
この最高のスパイラルを続けることができるのは、周りの人のおかげであり、このスパイラルから生まれる新たな友達はきっと、このスパイラルを回し続けさせてくれる人たちです。
まぁつまり、僕はなぜかすごく恵まれているから、人生が楽しいということです。
周りの人たちに感謝して、僕は今日もしたいことを好きなだけして生きることとします。
【補足】
マジで最近人生が楽しすぎた結果、生まれた感情が"感謝"だったことは、今の自分がある意味で完全に満たされているからなのかもしれないなあなんて思ったりもします。
結局のところ、"自分自身が完全に満たされた時に初めて、真の意味で他人に感謝することができる"んだなぁと。
これって、「優しさを履き違えるな」という記事で書いた、"自分自身が幸せでない者に、他者を幸せにはできない"という僕の考えとかなり近い事実なんですよね。
僕の大好きな漫画「HUNTER×HUNTER」のネテロ会長も自身の武術に限界を感じ、悩みに悩み抜いた末にたどり着いた結果が、武道への「感謝」であったということですし。
僕もしようかな、一日一万回、感謝の正拳突き。
とまぁそんな感じということです。
マジ、ダチに感謝。
おれいま、すっげー人生楽しいよ。
ありがとな。✌️
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