日蓮大聖人と釈迦の比較
釈迦は「本果妙の仏法」だと。
日蓮は「本因妙の仏法」だと。
釈迦は結果の本の教え。
日蓮は原因となる教え。
悟りのための。
悟りを得るための「結論」を述べたのが釈迦であり、
「結論へ至るための術」を教えたのが日蓮大聖人なのではないでしょうか?
例えるなら、
魚を獲って魚を食べることが、悟りを得ることならば、
釈迦は釣り屋、漁師であり、釈迦が獲った魚を、釈迦と縁のある正法と像法の人々に与えたのでしょう。
対照的に、日蓮大聖人は釣竿屋、釣りの教師であり、人々に魚の獲り方を教えたのでしょう?
それは末法の人々が釈迦を疑って信じられないから。妙法蓮華経に南無することができないから。
それで、日蓮大聖人は「ただ南無妙法蓮華経と唱えることが成仏の道である」というふうに説いたのではないか。
私は御書を拝読していないので、あくまでも推測ですが。
魚を毎日食べられるのなら、方法は問わない。
それが、正覚なのでは?
いや、何というか?
不退転の位とは、漁師になれた人か?
自分の船を持てた人かな?
いやはや、仏法は深いですな!
学びを続ける。📖🖋
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