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No.11 「人と違っている」なんて気にしていられない。

エルハワリ 愛実
1996年兵庫県神戸市生まれ。エジプト人と日本人のハーフ。
2018年に大学を中退して、現在は尼崎でアーティスト対象のシェアハウス『Atelier House emelle』のオーナーをしながら、フリーで絵を描いたりデザインの仕事をして暮らす。
▶︎instagram:える🌳表現者
▶︎twitter:@pooh1121disney


________ まずは、今やっていることと、そこに至る経緯を教えてください。

今は、シェアハウスの運営をしたり、絵を描いたりしています。

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2018年に3回生が終わったタイミングで大学を辞めました。辞めてから半年ぐらいは、フリーターしながら、10月から通おうと思っていた田舎フリーランス養成講座(以下:いなフリ)に参加するためにお金をためつつ、ヒッチハイクや旅をしたりしていました。そして10月の1ヶ月間、いなフリに参加するために千葉に住み、11月以降もそこに住んで、2020年2月いっぱいまで千葉にいました。

いなふり①

ライターを目指してましたが、違和感を感じてきました。そこで求められるものを書くって「クレジットカードのオススメ3選!!」みたいなものなんですよね。徐々に、書きたいものを書きたいという思いが大きくなって、2月以降は、だんだんライターの道からも離れていきました。それで、4月から大学生になる妹と暮らすために大阪に帰ってきました。
関西に戻ってからは、以前、紹介でバイトしたことのある旅館が新潟にあるんですけど、その旅館で8月働いて、9月は実家(兵庫県神戸市)に帰って、10月から有馬温泉で4ヶ月くらい働いていました。
大学を辞めて進んだライターの道も違うなと思ってから、今できることが何かもわからないし、何をやったらいいのかもわからないし、とりあえずこの時間をお金に変えておこうと思ってバイトをしていました。漠然とシェアハウスの運営をしたいという思いがあったので、それに備えてお金を貯めていましたね。

そうやって生きてたら、たまたまシェアハウスとして使わせてもらえる家が決まって、準備金として貯めていたお金が自由に使えるようになったので、しばらくニートをしてました。絵を描いて、グッズ作って販売したりして。そして2020年8月からシェアハウスの運営を始めています。これからは絵とか名刺とかデザインの勉強をしているので、その仕事に力を入れようと思っています。

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________ 色々と変化の多い日々ですね(笑)。1番ターニングポイントとなったところは大学を辞めたところですか?

大学を辞めることに関しては、そこまで大きな決断ではなかった気がしますね。
2回生くらいから大学を辞めると思っていました。先生にも言ってましたよ。
大学は辞めたくなかったけど、辞めちゃうんだろうだろうな、と思っていました。「多分、私はここを続けられない、卒業できないな」と思ったんです。勉強はしたかったけど、「学校」というシステムが向いてなかった気がしますね。ネガティブな意味とかじゃなくて。
2回生の後期と3回生の後期を休学したんですけど、1回目の休学の時に、やりたいことを全部やろうと思ってたんですよね。ネットビジネス的なグループに参加したり、そこで仲良くなった女の子の親友ができて一緒にイベントやったりしてました。いろんなところに足を突っ込んでたんですけど、最終的には、元々好きだった着物に行きついて、着付け教室に通い始めました。そこで着付け師がやりたいことだなってなったので、学校に戻りました。大学行きつつ、土日だけ着付け師をやってたらいいなと思って。

着付け①

着付け②

でも、学校は続かなかったですね。卒業するイメージが湧かなかったんです。だったら続かないなりに、その後どうやって生きていくのかを考え始めました。親を説得するには、それなりの理由が必要だから、その後どう生きていくかプランを一生懸命考えました。そのために中退した人に話を聞きまくったりしましたね。

________ 学校が向いてないと思っても、続けている人が大半な気がします。周りも続けているから続けようという人が大半かなと。エルは、スッキリ大学を辞める選択ができている気がしますが、そこの決断はどうでしたか?

「続けられないな」と思ったのは、高校の時に電車の中でパニックになったことが影響してますね。教室みたいな閉鎖空間にこの時間からこの時間までいなければいけない、というのが無理なんですよね。
これに関しては、私の意思ではどうにもならないんだなと思いました。周りがどうとか、人と違うのは嫌だとか思ってられなくて、しょうがないんですよね。
先生には相談をしに行ったんですけど、大学の先生の立場からしても「わかりました、あなたは授業に出なくていいです」なんて言えないじゃないですか(笑)。
人と違うことよりも、自分がしんどいことが耐えられなかったですね。周りからは単純にサボりぐせのある子と思われていたんだと思います。

あとは、私がハーフなので、小さい頃から人と違う経験が多かったので慣れていたかもしれません。人と違うことよりも、自分の心を大切にできないことの方がしんどいと感じますね。

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________ 親はどのような反応でしたか?


親は、大学を休学するときも、辞めるときも、「筋が通っていればいい」という人でした。正当な理由や納得があればいいという人で、大学休学するときも、退学するときも、「プレゼンしろ」と言われました。「タイトル:大学辞めたい理由」とかでパワポ資料作ってましたよ(笑)。自分がしゃべるスクリプトと計算表作って、大学辞めた場合とき、どうやって生きていくのか、例えばフリーターになるとしたら、月の生活費はこれくらいかかるから時給1,000円でこれくらい働く必要があって、みたいな。保険料とか数字的なところも含めて、計算して、作りましたね。
「休学もだめ」「退学もだめ」とかではなく、納得させることが全てでしたね。感情で動くことをさせたくなかったんだと思います。細かく一つ一つ考えた上で、それで辞めたいならいいよ、という感じでしたね。
着付けの仕事をしたいなら、1回いくらで月に何回やったら生活できるのか、みたいな計画を立てましたね。
もちろん思い通りには行かないけど、数字の通りにならないことに関しては、あれこれ言われることはなかったですね。大学の時に借りたお金を返すために月に2万円家に入れていたらいいとか、最低限やるべきことをやっていたら良かったです。ルールがはっきりしている家でしたね。

プレゼン

それでも、経験が少ないのはもちろん私の方なので、バトりましたけどね。
特に母親からは「とりあえずあと2年居ればいいやん」「最低限単位取ればいいやん」「大卒じゃなくないってどうすんの」みたいな話はされるけど、私としては「とりあえず」とか「努力でどうこうできる」ような問題ではなかったんです。
叩きのめしてやるという感じで向こうは来ていたし、今も許してくれた感じはないんですけど、今は「何を言っても、もう勝手にやるんでしょう」と思われていると思います。もうプレゼンしろとは言われないです(笑)。
理詰めされると思ったから、余計に自分の考えを固めることができましたね。それはそれで良かったと思います。

________ 大学を辞めてから、「何をして生きていくのか」はどうやって考えていたのですか?

「絶対に着付けで生きていく!」みたいなモチベーションではなくて、自分のやりたいことがそれしかまだ見つけられていなかったというだけでした。大学に通えないのに、会社員にはなれないと思っていましたね。「私が生きていく生き方は”会社員”ではない」と感じていました。

だから、いなフリの情報をみた時に、着付けじゃない道を見つけれたこととか、昔から好きだった文章を書くということができるんだということと、それでお金が稼げるというのが私にとって良かったんです。
その1ヶ月が終わったら、ちゃんとお金が稼げるというのならば、もう参加しない理由はないという感じでした。twitterで情報を見つけた時にすぐ申し込みましたね。
あとは、自然のある地域に住みたかったっていうのはありますね。千葉の田舎に住み込みでやるっていうのはちょうど良かったです。海も山もあるようなところだったので。

風景①


________ 私の生きていく選択肢は、会社員じゃないとはっきり割り切れたのは良かったですね。


今思えば、会社員が嫌なわけではなかったんですよね。働き方とか、環境とかが固定されない、そんな都合のいい会社があれば良いんですけど。
そんな会社があるんだろうっていうことが思い浮かびませんでしたね、その時は。最近はそういう会社があることを知り始めています。合うところがあったら働く可能性は全然ありますね。
ただ、満員電車に乗って朝何時に出社、というのが無理なんです。

________ 自分の向き不向きを知った上で選択をしていて、心の健康が保たれている感じがしますね。

むしろ、自分の心の健康しか大事にしてないですね。心を健康にするための方法の1つとして、やりたいことをやっているという感覚です。とにかく、心が死なないことが大切なんですよ。心が死なないことを第一優先で、全て考えています。
自殺する人は、心が死んだからだと思うんですよね。私自身、高校の時に、デッドラインを知ったんです。ここまでいったらまずい、死んでしまう、というラインを経験したことがあるので。日本に住んでいると、お金がなくなって死ぬとかってあまりないと思うので、リスクは心が死ぬことですかね。

今、学校でも仕事でも、辞めたいと思っている人には、心が死にそうだと思ったらすぐ辞めてほしいと思います。

________ 絵を描くことは、エルの中でどんな役割なんですか?どんな想いでやってるのかを教えてください。

絵でなくてもいいのですが、文章を描いている時、絵を描いているときは、「頭の中を発散する」ことをしていますね。
私の中で表現することは必須で、それがないと私は成り立たないんだなと思っています。

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これまで色々やってきたことに共通するのは、”私の生き方をみて欲しい”ということですね。
大きなビジョンとしては、”聖母”になりたいと思っています。言葉にするのが難しいんですけど、「全てを愛する存在でありたい」と思っています。全てそのままでいい、そのまま全部愛しますよ、というスタンスであり続けたいです。シェアハウスは、私が私として生きているだけで、そのような生き方をみんなに感じてもらえるような場所にしたいです。
絵や文章など表現することも、ビジョンとしては普及活動みたいなものですね。

でも、絵を書くこともそのうち辞めて、別の方法を試していくんだと思います。今、この瞬間は絵というものが1番伝わりやすくて、私が生きるのにも役に立っているからそれを使っているだけです。すべて、表現という意味では一緒だと思いますね。

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【編集後記】
心を大切にし、無理をしない生き方を体現しているエル。
絵を描いたり、デザインをしたり、アーティスト向けのシェアハウスを運営したりと、のびのび生きているように見えますが、
「時間をお金に変える」「エクセルで収支計算」など、生きていく上で必要なことをした上で、自由な生き方を実現し、バランスの取れた生き方をされている印象です。

人と違う道を迷わず選べたのは、パニック障害などコントロールのきかない要素が大きく影響していますが、
親を説得し、ちゃんと生きる道を開いているエルの強さを感じました。

【ライター】
篠原 七子(しのはら ななこ)
神戸市出身、福岡市在住の26歳(2021年時点)。自然と調和した暮らしづくりを目指し、コンポストの研究製造販売をする会社でCS/広報として働く。本メディア発起人(経緯はこちら)。
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