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ショートショート)先輩

週末になると仕事帰りに寄る居酒屋。
6人が座れるカウンター席とテーブル席が2つ。
特別旨いかと言うとそんな事もなく、値段はサラリーマンのお財布には優しい庶民の味方の様な居酒屋。お世辞にも愛想がいいとは言えないオヤジさんと、テキパキ働く女将さんの2人で切り盛りをする綺麗ではないが、小汚いと言う程でもない店。そんな居酒屋でテレビでも見ながら、ゆっくりと呑んでから帰るのが週末の楽しみというかルーティーンになっている。

いつもの様に呑んでいると3人のサラリーマンが入ってきた。1人は自分と同じ位の40代。
後の2人は20代前半。その内1人はまだスーツを着ていると言うよりスーツに着られている様な初々しい新入社員といった感じだった。
普段ならたいして気にもとめないのだが、40代の男がテレビの音をかき消す程の大声で2人に話すものだから、否が応にもその声に耳を傾ける事になった。
よく通る声で社会人の心得やら、どこからか借りて来た様な人生の教訓等をツラツラと語り、仕舞いには連れてきた2人に説教じみた事を言う。
いかに自分が昔は凄かったかとか今の世の中は間違っているとか、その都度、部下は作り笑いと決められた台詞の様な言葉で上司を褒めていた。
上司は気持ちよく飲めたのか、急ピッチで酒を煽り、かなり短い時間で彼らの宴はお開きになった。
『お前らもこうやって気前よく後輩に奢ってやれる人間にならないと駄目だぞ』と支払いを済ませて帰って行った。
よく見る光景だったが、この店に通うきっかけとなった先輩の事を思い出した。

体育会系出身で情に熱く豪快、仕事のミスもチョイチョイあったがリカバリー能力も高く、自分もよく尻拭いをしてもらった。失敗して落ち込んでる時は決まってここに連れてきてくれた。キャバクラになんかに行くよりも、ここで先輩の話を聞く方が自分にはよっぽど楽しかった。
先輩は、お開きの後に決まって一人で夜のネオンに消えて行ってしまっていたけど…。

先輩は、色んな事を教えてくれた。
先輩の教えは、今でも自分の中で血肉となって生きている。実践をできていないものもあるけど、いつかの理想として心に留めている。

先輩が言うには、
30過ぎたら自分の顔には責任を持て。
嫌いな奴には奢ってもらうな相手を選べ。
成功談よりも失敗談を語れ。
知ってる事より知らない事の方が多いと知れ。
夢は語っても決して溺れるな。
もらいタバコはするな。
人を笑わせても笑われる様な事はするな。
奢ってやると思うな威張り賃を払ったと思え。
女の尻にはひかれるな追いかけろ。
金は貯めても喰えないから何か別の物に変えろ。
バカな事の一つも出来ない馬鹿にはなるな。

色んな事を教えてくれた先輩。
ある日に突然、日本は狭すぎると言って辞表を出して何処か違う国に行ってしまった。
そこからなんの連絡も来ず、先輩が好きだったワールドカップも3回終わってしまった。
自分も気がつけば、もう40歳になった。教え通りに女の尻にはひかれずに追い回してばかりいたせいで未だに独身だ。
30過ぎたらって話は良くしてくれていたけど40過ぎたら、どうしたらいいかを教えてもらっていないまま今に至る。気がついたらあの時の先輩よりも歳上になっていた。
もし、今、先輩と呑んでいたら、タバコをくわえ、ビールジョッキを片手に
『そんな事は自分で考えろ。いい大人がいつまでも人の意見に振り回されるな』って笑いながらでかい声で言うんだろうなぁ。

そんな事を思いながら先輩が好きだった茹でた落花生に手をのばした。落花生はいつもよりも少し塩っぱくしょっぱく感じた。

よし、来週は部下を連れてここに来よう。
もし、嫌がられそうだったら、、、
そん時は、やめておこう…。