続・続・大学二年の夏休み(アメリカ留学#14)

 マックス(ドイツ人のシェアメイト)と喧嘩した。積もり積もった不満が爆発した結果だった。

 マックスは大学3年生で、同じビジネス専攻だった。彼の英語はチャイ(インド人のシェアメイト)と同様に流暢で、同じ留学生として尊敬に値する英語力だった。当時の僕の英語力はまだまだで、授業の内容は理解することはできたが、スピーキングとなるとネイティブに大きな遅れをとっていた。だからといって腐っていては仕方がないので、開き直ってわからないものは正直にわからないと言うようにしていた。「小中高と十年以上英語を勉強したのにこのザマだよ」なんて自虐して笑いを誘ったりもしていた。こう言うとチャイもマックスも笑ってくれたが、マックスの笑いが嘲笑を含んでいたと気づくのはだいぶ後になる。

 当時の僕は夏期講習もバイトもなく、かと言って旅行するとかいう計画もないので、本当に純粋な夏休みを過ごしていた。「日本に帰ることで、ここまで積み上げてきた英語力が崩れる」という感覚があったゆえの滞在だったので、アメリカにいること。それだけで夏休みの目的は達成したと言えるのだ。なので特にやらなければいけないことなどなかった僕がしていたことといえば、ジムに行って身体を鍛える、自炊、海外ドラマを英語字幕で観て知らない単語をメモする、そして毎日日記をつけることだけだった。適宜部屋の掃除をしたり、買い物にいったり、たまに映画館に映画を観に行ったりしたが、全体的になんてことない日々を過ごしていた。朝起きる必要もないので、起きるのは大体11:30ぐらいというダラダラぶりだ。

マックスはそんな僕の日常が気に入らなかったらしい

 前述の通り、僕が起きるのは昼頃だったので、起きてリビングに顔を出すと、マックスが昼食の準備などをしていることが多かった。僕は冗談のつもりで、昼なのに「Good Morning」と言ったり、「また昼まで寝ちゃったよ」なんて自分を卑下して笑いをとったりしていた。結果、マックスは調子に乗った。

「おいおい、さとる!お前そんな英語力で授業についていけるのか?」

「お前なんで何もしてないのにそんなに寝てるんだ?」

「おい!見ろよ!(ポケモンの人形を指さしながら)お前の友達がいるぞ!」

 こんなふうに、マックスは僕を強めにイジるようになってきた。僕は彼のこんなイジりにいい気はしていなかったが、かといって強烈に不快感を出すほどの言われようだとも思っていなかった。学校の授業にはついていけてはいたが、一番英語力を計りやすいスピーキングが弱い僕を見てそうは思わないのは納得できるし、仮に僕が大丈夫だ、と言っても信じてもらえないだろうことは目に見えていた。

 僕の睡眠時間も、朝早くに起きてインターンシップに言っている彼からすれば、異常に映ったことだろう。僕は昔から床に入り目をつぶってから平均して2,3時間は眠れず、眠ったとしても浅いので朝方に頻繁に目が覚めたりするので、睡眠にかける時間は長いが、実際に寝ている時間は他の人に比べて遜色ない、むしろ短いが、そんなことを彼にいっても意味はないことはわかっていた。

 加えて、日本人=ポケモンという安直な図式で、
僕個人の趣味嗜好を気にせず言ってくる彼に反応するのも面倒だった。なので、彼の発言をなるべく取り合わないようにしていた。時間のムダどころか、精神的に良くないような気がしたからだ。

「日本なんて絶対に行きたくないね。あそこは原爆落とされてるから放射線が残ってて危ない」

 唐突に、本当になんの前触れもなくマックスはそう言った。聞き取れはしたが、言っている意味がわからず、僕が聞き返すと、彼は「またこいつ英語聞き取れてねぇよ」というような感じで、同じことを繰り返した。衝撃的だった。そんなことを考える人がいるなんて思ったことがなかったからだ。

 後になって調べてみると、海外ではそういうふうに日本を見る人がいるらしい。それなりに有名な日本差別らしい。そんなことを知らなかった僕は、しかし、いつものように彼をスルーすることなく何とか「日本は安全だ」と説明した。僕が言ったことに対し、彼が何かを言う。それに対して返そうと文章を組み立てていると、続けざまにマックスは二の矢三の矢を放ってくる。英文生成のスピードが追いつかない!思考は追いついているのに、英語力が足りないのだ。

 悔しかった。日本人として退いては駄目なところだと直感していたが、相手を納得させることが出来なかった。僕は愛国者だと胸張っていう類の人種ではないが、祖国をそれなりに愛していたのだとこの時気づいた。きっとそれは祖国を馬鹿にされると、そこに住む自分の大切な人たちも一緒に馬鹿にされていると感じるからだろう。何の前触れ(僕がマックスの祖国を馬鹿にするなど)なくその話題を持ち出してきたことに、僕はひどく落ち込んだ。怒りもあったが、マックスという人間に対して失望したのだ。これはチャイの時の比ではなかった。以降、これまで以上にマックスに対して素っ気ない態度をしていくことになるのだが、まだ喧嘩には発展しなかった。不満が爆発したのは、その日から更に先、僕、チャイ、マックスの3人で遊園地に遊びに行った日の帰りだった。

 自分たちの寮に帰ってきた僕らは、帰りしなに買ったメキシカンレストランのチポトレの弁当を食べていた。一年前に店員の英語が聞き取れず、特大サイズのブリトーを食べるハメになったが、今回は自分の要望通りの好みの食材が乗った丼を一口ずつ口に運ぶ。成長の味がした。そんな中、何故かマックスの機嫌が悪かった。普段座るテーブル席に座らず、一人でソファに座って黙々と食べている。原因は不明。今になってもよくわからない。強いて考えられるとすれば、僕とチャイが彼を交えず話しすぎたことだろうか。チャイとはすっかり仲直りしたし、彼は純粋にいいヤツなので話していて楽しかった。だがそれは別にマックスを除け者にしようと動いた結果ではない。それを勘違いしたのか拗ねたようにマックスは無言でただただチポトレを口に運び続けている。一体なにが、あったんだ?

「さとる。お前誰かの人生と変わりたいと思う?」

「いやー特にないかな。僕は僕の人生でいいよ」

 チャイとそんな雑談を交わす。

「へぇー。一日特にやることもなく、毎日昼過ぎに起きてくるような人生が楽しいのか?」

 マックスが会話に割り込んでくる。またかよ。一体何なんだ。

「なぁ、さとる。アジア人は皆勤勉だって聞いたことあるけど、なんでお前はそんなに怠惰なんだ?」

 いい加減にしろよ。いちいち癇に障ること言ってきやがって。何様なんだ。

「お前に関係ないだろ」

「ふぅ~(「キツイこと言われたぜ」とリアクションしながら)」

 この瞬間、僕はマックスとの関係を切ることを決めた。今までの彼の無礼な態度やいけ好かない言動が積もり積もって爆発したのだ。もう、彼と仲良くする気は到底湧かなかった。チャイとのことがあってから、シェアメイト間で軋轢を生むのは良くないと学んで、マックスの侮辱的な物言いにも笑って対応していたが、我慢の限界だった。僕がそれ以上何も言わないでいると、マックスは食べ終わり、ゴミを捨ててそのまま自室に戻っていた。そうしてその日は終わる。

 翌日から、僕はマックスの事を無視するようになった。彼が何を言っても「あぁ…」とか「…ぅうん」と曖昧な返事をして会話をしなかった。そんな僕の態度を不思議がってマックスは「体調悪いの?」と見当違いの質問をしてくる。僕はそれも無視をした。大人げないが、これは自己防衛だった。彼と会話をすることで被るダメージから僕の精神を守るための防衛反応だ。関係修復を望むなら会話をするべきだし、なぜ自分がこんな態度をとっているのか説明すべきだが、残念ながら僕は彼との関係をあきらめてしまっている。希望がないのにそれに対して努力する気は起きなかった。

「さとる!今日は何時に起きたんだ?」

 その晩、ニヤニヤと笑いながらマックスはそう僕に訊いた。その瞬間、チャイはハッとしたような顔をしてマックスと僕の顔に交互に視線を送る。チャイは気づいていたのだ。マックスは言ってはいけないことを言ったことを。僕は当然のようにマックスを無視して自室に戻る。ドア越しに二人の会話が聞こえてきた。

「マックス。さとるにあんなこと言うなよ」

「は?本当のことだろ?」

「本当のことだろうといっていいことと悪いことがあるんだよ」

 小学生のころ、活発なA君が体が大き目な女の子に「デブ」といったことがあった。それを見ていた当時の担任の先生はA君に「そんなことを言ってはいけない」と注意をした。「だって本当のことじゃん」と主張するA君に、担任は「本当のことだろうとなかろうと誰かを傷つけるようなことは言ってはいけないの」と諭していた。一瞬にしてその場面を思い出して、僕は悲しくなった。なんで小学生の頃に学ぶべきことを、大人が、教わらなくてはならないのか。そんなやつとシェアメイトとして付き合っていかなくてはならないのか。自分の不幸に対しての悲しみなのか、それとも周りに誰もそんなことを教えてくれる人がいなかったマックスに対する同情のせいかわからないが、とにかく悲しくなった。

 翌日、僕たちは三人で出かける用事があった。これは前々から約束していたことなので、正直行きたくはなかったが、断るのも面倒なので僕は行く気でいた。が、マックスから連絡が入った。予定のキャンセルの連絡だ。好都合だった。一昨日からイライラしてしょうがなかったので、僕は外出することに決めた。と言っても遠出したり、遊んだりするお金はないので、近所のスターバックスに言ってチャイティーラテでも飲むことに決めた。体質的にカフェインをあまり摂取出来ないのでコーヒーは飲めないが、チャイティーラテなら飲める。あの程よい甘さがストレスを溶かしてくれるだろう。

 そうして出かける準備をしていると、マックスから連絡が入る。「三人でサッカーでもしよう」とのことだった。予定変更の埋め合わせ、プランBの提案だ。僕はチャイティーラテの口になっていたので、断った。「別の予定を入れたからパス」という旨の返信をグループチャットに送る。

「別の予定?お前に予定なんてあるわけないだろ」

「お前が元々の予定をキャンセルしたから、別のことをすることに決めたんだ」

「いいだろ。サッカーやろう」

「やらない」

「お前は今まであった中で一番つまらない男だよ」

「良かったな。お前にとって今まであった中で一番つまらない男と会わなくてすむぞ」

「うわっ怒ってる(笑)」

 急激にストレスが高まった僕は、自転車を飛ばしスターバックスへと直行した。そしてチャイティーラテに口をつけることなく、勢いに任せ思いのたけを文章に綴ることでストレスを解消した。書き終えたころ、マックスから謝罪のメッセージが届いたが、到底許す気になれなかった僕は、返信しなかった。

 それ以降、マックスの誕生日にー誕生日なので特別にー「Happy Birthday」と送ったことを除いて彼とは会話をしていない。そのまま夏休みは終わり、僕はその寮から引っ越した。(マックスが原因ではなく、元々夏休み限定だった)。新学期が始まり、一度マックスに声をかけられたが、無視した。彼は嘲笑していた。

蛇足

 マックスはもしかしたら僕がうらやましかったのかもしれない。朝早くにインターンシップに向かい、夜はー本当かどうか知らないがーハーバード大学院に入るための勉強をしている彼に対して、一日中ダラダラと好きな時間に起きて好きなことをやっている僕が彼よりも自由で、気楽で、楽しそうに見えたのかもしれない。彼は友達が少なかった。僕も少なかったが、僕は一人でも割と平気なほうだし、共通の友人であるチャイとは僕のほうが明らかに仲が良かったし、日本の友達と僕は電話をすることがそれなりにあったが、彼に彼の母国の友人から電話がかかってきたことは僕の知る限りなかった。

 自分の努力に現状が見合っていないと苦しいものだ。僕も僕なりに当時苦しかったが、自分の苦しみで手一杯の状態で他人の苦しみは見えないだろう。だからマックスは僕の苦しみを度外視して僕の生活を羨み、それが攻撃に繋がったのではないかと思う。これは個人的な感想で、実際は本人に聞いてみないとわからないが、そこまでするほど彼に興味はない。もう彼に対して、怒りはないが、別にもう一度会って話がしたいとは思わないし、それでいいと思っている。


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