本当はね。

せっかくの日曜日なのに今日もバイトに出てきている。
「あと2時間…」
バイトってなんでこんなに時間すぎるの遅いんだろう。
私が見ない間に誰かが時計の針止めたりしてるんじゃないかってくらい時間が進まない。早く帰ってベッドに飛び込みたい。
「いらっしゃいませぇ」
あ、待って。やばいやばい。
何を急に焦っているんだって?
だって「あの人」が来たから。
私が最近気になってる「あの人」が。
彼がレジの死角に入った瞬間に死んでいた前髪をさっと直す。
「これお願いします」
少し癖のある黒髪。くっきりした目元。すっと通った鼻筋。
私みたいな特別可愛くもない店員にも優しく「お願いします」なんて言ってくれる。素敵すぎる。
少し耳が熱い。動揺していないふりをして業務をこなす。
「ありがとうございましたぁ」
と商品を渡すと、微笑みながら小さく会釈をしてくれた。
あぁ、かわいい。かわいすぎる。
こんな時間がずっと続けばいいのにと、そんなことを思った。


「なんでバイトの日にこんなに化粧してんのかねぇ」
いつもより朝早く起きて、念入りに準備を行う。
バイトは何時間もあって、「彼」に接客するのは数十秒。
その数十秒のために、めちゃくちゃ準備している。
なんならそもそも彼が来るかも分からない。
でも彼が来たら。今日こそ言うんだ。
「連絡先教えてください」って。


やった。
もらっちゃった。彼のLINE。
「あの…」
「はい?」
「あ、あの。ひ、一目惚れしちゃって!」
「…え?」
「その…連絡先教えていただけませんか!」
「あ、あぁ。いいですよ」
途中まではものすごく怪訝な表情をしていたけれど、最後はいつも通り優しく微笑んでQRの画面を見せてくれた。
バイト中に公私混同だったろうか。いや、そんなことは知らない。
あの瞬間を逃したら、もう貰えなかったかもしれないのだから。
憂鬱なバイト時間がいつもより少し早く過ぎたような気がした。


連絡先を交換してあっという間に3か月という時が過ぎていた。
仲のいい友達レベルの会話はできるようになったけど、ここで新たな問題が発生。
そう、全く素直になれない。
それのせいで1ミリの進展もなく時だけが過ぎていった。
「酔っぱらってたらかけてみてもいいかな」
酔うと好きな人の声が聞きたくなるなんて言うし。
「よし」
意を決して受話器のマークを押す。

「もしもし」
いつもと何も変わらないあなたの声。
「よっぱらちゃってさぁ」
「え?珍しいな」
「うん、飲みすぎてねぇ…」
我ながら酔ったふりするの上手い。女優の才能ありか。
「わかった、眠れないんでしょ」
「そんなわけないでしょっ」
「じゃあなんで掛けてくるんだよ」
仕方ないなぁと笑いながら、付き合ってくれた。

照れ隠しばかりして子供みたいだな私。
「大人っぽい子が好き」と話すあなたの好みの女の子になるためには、もっと余裕見せなきゃいけないのに。
恥ずかしい気持ち全部捨てて、「今から会いに行ってもいい?」くらい言えたらいいのに。
ちゃんと思っていること伝えられたらいいのに。


メイクもヘアセットも全部あなたのため。
この前買ったあのファッション誌も全部。
あなたの好みの女の子になるため。

でもこんなに努力してるのに、どうして気づいてくれないの?
他の女の子なんて見ないでなんて、そんな贅沢言わない。
他の女の子見ててもいいから。

私のこともちゃんと見て。


ぐるぐる考えているうちに黙り込んでいたのか、眠ったと思われたよう。
「寝たなこれ、おやすみ」という一言のあとに、電話が切れる音がした。


まだまだ余裕なんて生まれそうもない。
「本当はね、あなたが好き」
電話が切れた後に言っても意味ないよなぁと思いながら、でもほんの少しの充実感を感じながら、夜が更けていった。



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