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「アンチ」について。

 「表に立つ人間は叩かれてなんぼ」―。先日、ふとこんなセリフを耳にした。僕の親ぐらいの年齢の人に見えた。果たして、その考えはどうなんだろうか。

 最近はYouTuberという職業が生まれ、「インフルエンサー」とよばれる人たちが立場を確立させつつある。そんな世の中で目立ち始めたのが、活動者を批判する民族「アンチ」だ。今日は、「配信者」としていわゆる「表に立つ」ことをしている僕の「アンチ」に関するお話。


 僕は「配信者」をしているわけだが、あくまで素人だ。素人が何を話せるんだという声も聞こえてきそうだが、僕自身、配信業をする上で「アンチ」を受けたことはたくさんある。「何が面白いんだ」「伸びたのはたまたま」―。匿名で言われ放題である。もちろん「アンチ」よりも「ファン」の方が多いわけだが、それでも不思議なことに、「アンチ」ばかりのような気分になる。「実は僕に味方はいないのでは」と、そんな気持ちになっていたことを思い出す。これまで力になっていた応援の声や、「気にするな」という励ましも、ほとんど入ってこなくなっていたように思う。


 では、人間はなぜ「アンチ」という行動に至るのか。僕が考えるに3つの原因がある。まず、「ストレス発散」だ。日頃抱えているストレスを、「表に立つ人間」にならぶつけてもいいという思考だ。次に、「嫉妬」。単純に多くの人にちやほやされているのが羨ましくてやっているタイプ。最後に「マイナス感情を言わないでおく能力を持ち合わせていない人間」だ。「思ったこと言っちゃうんだよねぇ」を履き違えている。

 以上3種類を例に挙げたわけだが、この3つに共通していることがある。それは、「インフルエンサーは力のある強い立場の人間だ」という考え方だ。知名度、影響力など全員が持っているわけではないものを持っている。それを持っていない「弱い」立場の人間が、持っている「強い」立場の人間に何を言ってもそれは悪にはならない。そんな考えが見えるような気がする。でもそれは違う。表に立っていようが同じ人間なのだ。同じように傷つく人間。僕は配信業を通じてそれを身をもって経験した。


 人間である以上、「好き嫌い」は仕方ない。いろんな考えを持った人たちがいるのだから、「この人が気に入らない」という感情が生まれるのは当然だろう。しかし、「叩かれて当然」とそのマイナスな感情をぶつけていいものか。「アンチ」の根源にあるのが「嫉妬」か「ストレス」か知らないが、人を傷つけていい理由にはならない。これを読んだ誰かの「アンチ」がそれでも納得できないなら、小学校の道徳の授業受けなおして来い。心のノート読み直して来い。そんな気持ちだ。


  いろんな考えがあるのも、嫉妬やストレスを感じるのも生きていれば当然だ。でもそれを吐き出さない。まき散らさない強さを持つ人が増えれば、少しづつ変わっていく気がする。僕は微量ながら「影響力」をもって発信できる身として、この考えを広めていきたい。

 最後まで読んでくださったこと、感謝します。この文章を読んだあなたが周りを気にせず、何かに夢中になれますように。それではまた、どこかで。

 ≪おまけ≫
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