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ドッチボールが嫌いだった ① ~僕の球技コンプレックス~

僕は球技が苦手だ。
今でもそれがトラウマになっている…。

ドッチボールが嫌いだった

1971年 小1
初めて球技に出会ったのは小学校低学年のとき。ドッチボールだ。

小1のときだったか?小2のときだったか?は覚えていない。
体育の授業でドッチボールというものを知った。

僕はそれまでボール遊びをしたことがなかった。
別に内向的なタイプではなく外で遊ぶ子だったが、ボール遊びはせず、怪獣ごっこや虫捕りをしていたと思う。

僕の両親は共にスポーツとは無縁。
隣に2学年上の従兄が住んでいてよく遊んだが、ボール遊びの記憶はない。

そんな僕が体育の授業でドッチボールと出会ったのだが、如何せんボールの扱い方が分からないのだ。
どうやって投げるの?どうやって受け取るの?
全く分からない。
やってる人を見て自然とできるようになる子もいたが、僕は全くダメなんだよね。

   * 

子どものころにボール遊びをする環境がなかった。
だから体育の授業でドッチボールが始まったとき、どうやっていいのか、全く分からない。

ボールが飛んでくる。
ボールに当たらないように逃げる。
やり方がわからなくても、人間の本能で逃げることはできるんだよね。

だから逃げた。
ひょいひょいひょい!と(笑)

僕は運動神経が悪いわけではなかった。だからリズムよくボールをかわすのはできたんだ。

うちの母が当時の担任の先生から「〇〇君は逃げるのが上手いのね」と言われたらしい。
その先生は、別に皮肉で言った訳ではない。ただ単に僕が逃げるのが上手いから、そう言っただけなんだ。

でもうちの母は、〈他の子はドッチボールができるのに、なぜうちの子はできないのだろう?〉と不思議に思っていたような感じだった。
できない理由はちゃんとあるのにね。母にしてみればそれが分からなかったのだと思う。

この時点で、球技ができないのは良くないことだと思った。

ある日ドッチボールの授業のとき、A君がミスをしてB君に「なにやってんだよ!」ってガンガン責められてる姿をみて〈あ~嫌やだな~〉と思ったことがあった。
僕は球技が苦手だから〈そうならないようにしないとな〉と思った。
そのシーンを見てますます球技から逃げるようになった感じだ。


初めての野球(ごっこだけど)

1973年 小3
友人Cの家で何人かで遊んでいたら、Cの父親がゴムボール(野球のボールの大きさ)を持ってきて「野球をやろう」と言ってきた。
外に出てC宅の前の道で始めた。
バットの代わりに手でゴムボールを打つ野球ごっこ。僕らはハンドベースボールと呼んでいた。
野球は一塁、二塁、三塁、本塁とあるが、ハンドベースボールは二塁がない。一塁、三塁、本塁と三角形なので、三角ベースと呼ぶこともあった。

始めたのはいいが、僕は野球のルールが全く分からない。
打ったら一塁へ走る…。守りの人は打たれたボールを取って一塁に投げる…。
そんなことすら、よく分からなかったのだ(笑)

だから僕の頭の中はぐるぐる回っていた。
訳が分からなくて…(笑)

友人Cはけっこう気の荒い奴だった。
だから全く機能しない僕に怒鳴るんだよね。

「なにやってんだよっ!!」
「はやくしろよっ!!」

けちょんけちょんに言われた(笑)

僕はますます訳が分からなくなった。
どうやればいいんだよ? 何をやればいいんだよ?

僕の周りで友達が…ボールが…。
ぐるぐると駆け巡っているのだ。

僕は友達やボールに置いて行かれてるような感じで、ただ一人呆然と立ち尽くしているだけだった。

   *

これが僕の野球(ごっこだけど)初体験の出来事だ。

今思えば、〈こっちは野球のルールなんて知らないんだから、とやかく言われてもどうしようもない!だったらルールを教えろ!〉って思う。
ま、当時は大雑把な時代だったからね。教えるというより「見て覚えろ」だったもんな(笑)


球技以外の遊びは活発だったが、球技になると…

1974年 小4
小4〜小5前半。この時期はどういう訳か、球技以外の遊びが流行った。
ドロケ、缶蹴り、相撲、戦いごっこ…。
だから活発だった。毎日外でみんなと遊んだ。
僕は球技以外は上手いほうだったんだよね。
足が速く、すばしっこく、相撲も強かった。

しかし小5の後半になると、次第に遊びが球技になっていった。

主な遊びはこの3つ
・ハンドベースボール ※前述の「初めての野球(ごっこだけど)」を参照。
・ダイガク →ドッチボールを使い1対1で対戦。真中に線をかいて手をグーにしてボールを自陣の地面に打ち付けて相手側にバウンドをさせる。相手がこっちにボールを返せなければこっちの勝ち。
・角ぶつけ →1人がゴムボール(野球のボールの大きさ)を壁の下の角にぶつけて跳ね返ったボールをみんなで取り合う。ボールを取った奴が勝ち。そして今度はそいつが角にぶつける役に回る。

ハンドベースボールは野球に近いのでいろいろと複雑。
この時点でも、僕はまだ野球のルールが分からなかったので、それをやるととんちんかんになる(笑)
だからその遊びでは友人に誘われなかった。誘われなくて寂しい、じゃなくてホッとしていた(笑)

ダイガクや角ぶつけは単純なので僕でも一応できる。
だからみんなと一緒に遊んだ。
でもね、一生懸命やっても思うにいかないんだよね。
ほんと球の扱いがヘタなんよ(笑)

だんだん自信をなくして…だんだん大人しくなっていったなぁ…。

   *

この年の秋から父の影響で、テレビで大相撲を観るようになった。
父もそうだったのだが、初代貴ノ花のファンになった。
かじりつくように大相撲のテレビ中継を観た。
相撲の新聞記事を切り抜いてノートに貼って相撲ブックを作って楽しんだりしていた。

そんな僕を見て、母は「あんた、本当に相撲が好きなのね!」と言ってきた。
僕は〈野球好きでなく相撲好きになった自分は良くない〉と言われてるような気がした。
実際、母はそういうつもりで言ったのではないのだろう。
当時は「みんな同じでないといけない」みたいな風潮があったから、〈みんな野球やってるのに、何でうちの子はやらないの?〉みたいに思った程度だったのだろう。

ま、僕が球技コンプレックスだから、悪いように受け取ったんだね。
でも肩身の狭い思いをしたもんだよ(苦笑)


今回はこの辺で。続きもあるよ。

小5までのことを振り返ってみた。
時は70年代。野球全盛期だもんね。
73年には“王・長嶋”の巨人がV9を達成。その翌年に長嶋が引退して監督になり更に盛り上がりを見せた時代。

み~んな野球やるよね~。
だから野球ができない僕は、だんだん劣等感を感じ始めていったんだ。

球技コンプレックスはその後も続き、今でも残ってる(笑)

ただね、そんなコンプレックスがあったからこそ、それをパワーに変えて「見返してやろう!」とう気持ちで、社会人になってバリバリ働くことができたんだけどね!(働き過ぎたけどW)
スポーツが僕にくれたのは、それだね!

次回は、小6のときから書いていきます。

小6のときはけっこうエグいのよ(笑)
思考が大人なってきたからなのか? いろいろ考え過ぎちゃって…。
自分で自分を追い込んじゃったなぁ~。

では、また!


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