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怯えるひよこはペンを取り、波と戦う高校生となった

高校時代を過ごした街のエピソードを書こうと思っていた。

しかし、考えてみれば、その街をうろうろしていたのは3年間だけだ。
朝から晩まで、休みの日もずっと、教室か部活の稽古場にいた。そうでなければ、河原かシャノアール、たまにイタトマとシェーキーズ。

街のことはよく知らないのだ。

その代わりに、30年前のこんな出来事を思い出した。

ーーー

高校へ進学するとき、通っていた中学校から受験したのは私一人。
田舎で育った私はひよこのようにほわほわで、世の中は怖いものでいっぱいだった。

家の近所では見ることのない制服を着て新学期の教室へ入っていく。
周りの子たちは大人びていて都会らしさを感じた。

女子はグループで過ごす生き物だ。
ゲートが開いて一斉に出走。私は人間関係の「ポジション取り」にまるで適応することができなかった。

いろいろなグループの人とさらっと気軽に接するには、不器用で経験が少なすぎた。
高校生の制服を着ていても、大きな波が来たらそのまま流されてしまいそうな幼さと弱さがあった。

今思えば、特に大人っぽい子の多いクラスだった。
高校1年の春。皆それぞれはりきっていただろう。
誰もが何かのアクションを起こして常に勢力争いをしているような緊張感があった。

教室のいちばん後ろの席で、地肌が透けるまで髪を抜き続けた。

もちろん、クラスメイトと話はしたし、誰かに嫌なことをされたのでもないが、生き物のように形を変えていくグループの中で上手に立ち回るスキルはなく、かといって1人で過ごせるほどの心の強さもなかった。

安心していられる場所が見つけられず、教室にいるのが苦痛になってきた。

ーーー

それでも私には運があった。

一つは部活動だ。

演劇部のゆかいなメンバーと過ごした濃密な時間が、私のキャラクターを決めた。
毎日、内臓がちぎれそうなくらい笑った。

もう一つは文章を書いたこと。

家でも学校でもずっと何かを書いていた。
手紙や交換日記。拙いけれど、今では考えられない量のアウトプットだ。
頭の中はいつも伝えたいことでいっぱいだった。
受け止めてくれる相手がいたこと、それが私の運の良さ。

思考の小さなユニットが繋がって流れていく感覚を知った。
シナプスがスパークしながら枝分かれして伸びていく、そんなイメージだ。

今思えば、刺激に反応しただけで思春期まる出しの内容だったが、私の「伸び盛り」はあの瞬間にあった。

周回遅れになりながらも、うっすらと私の「軸」のようなものができ、人間の形になってきた。

自分とは何か。自分はどうありたいのか。
波にあらがう意思と強さが生まれはじめた。

ーーー

季節が変わり再び冬服に戻る頃にはクラスの雰囲気も落ち着き、私もそれなりに自分の収まる場所を見つけた。

居心地が良くなると、ずっと教室か稽古場の視聴覚室にいた。
学校にいる時間が長すぎて、ついに制服が擦り切れた。

学年が上がってクラス替えをするたびに友達の友達とまた仲良くなって、文系のフロアに見知った顔が増えてきた。

ーーー

たくさんの人の中で過ごすのはどうも苦手だ。

大学生になっても、社会人になっても、相変わらず「ポジション取り」に手間取り、居場所が定まらず落ち着かない思いをした。

「ポジション」なんてくだらなくて意味のない思い込みに過ぎない。

さすがに今ではわかっている。
なにより相手に失礼だ。

「人の繋がり」はそんなに単純なものではない。形、大きさ、深さ…その組み合わせは無数に存在し、いずれを選択しても正解だ。
今だったら、SNSなどで緩やかに人と関係を築きながら、自分のペースで考えを伝えていくことだってできる。

同窓会で「高校の時と感じが違う」と言われた。
自分でも「やっぱりそうだよね」と思う。
私なりに経験値を積み、社会性を身につけたのだ。

あの頃の怯えるひよこに声をかけられるのであれば、こんなことを伝えたい。

「肩の力を抜いて、思い込みを捨てて」
「ほんの少しの勇気をもって、たくさんの人と自由で緩やかな関係を築いていきなさい」


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