「ばかばかしい」がもたらす自由
嫌な人と付き合うとき。
嫌なことを認めるのも嫌すぎて、いいところを探したり言動の背景を想像したり、精いっぱい回避を試みているのにやっぱり嫌なとき。
つまらない仕事をするとき。
意味ややりがいを探し、何か学びのテーマがないか散々考えてもやっぱりつまらないとしか思えないとき。
ついつい「ばかばかしい」と思ってしまう。
若い頃に比べて頭のフレッシュさや柔軟性を失ってしまったのか?
頑固になってきたのか?
排他的で不寛容になったのか?
昔だったら正面から向き合って、消耗したり傷ついたりしただろう。
若い頃の私は誠実であろうとしすぎていた。
中年になった私は心の中で「ばかばかしい」カードを切る。
嫌なことを無理に受け入れると脳がオーバーフローする。
湯船から湯があふれるように情報も考えも相手の話もあふれて流れ出す。
集中力も何もなくなり、不快な感覚だけが延々と続く。
年を重ねて、私の脳はズルを覚えた。
物事のからくりが多少わかってしまったのもある。
これまでに経験した似ていることと同じフォルダに入れて「だいたいわかった」「またこんな感じだろう」と早々に思考停止。
まったく、笑ってしまうくらい根性がない。
しかし、そうして開き直った私は、自由とタフさを手に入れた。
清々しいほどの解放感よ!
嫌な人とはたいてい利害関係によりそのまま付き合わないといけないし、退屈で誰にでもできる成長のない仕事はそれでも完了させないといけない。
つまり、何も変わりはしない。
けれども「ばかばかしい」はガス抜きとなり、私の脳をオーバーフローから守ってくれる。
いかなる関係性にあっても心は自由だ。
あんまりひどいことすると、頭の「ばかばかしい」フォルダに入れてしまうぞ!
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