涙はぜんぶ砂壁が吸ってしまった
青い砂壁の部屋でひとり、
目の端が切れるほど泣き続けた。
誰にも会わずに。
布団の中でいつまでも涙を流す私を、ぬいぐるみのうさぎが見ていた。
若かったし、油断していた。
別れたという事実が受け止められなくて、脳は処理能力オーバー。
泉のように涙がいくらでも湧いて出てくるのだった。
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大学に入学してはじめて借りたあの部屋は、古いアパートだった。
最初に入った古い不動産屋で頃良い物件があっさり見つかってしまった。
築14年。砂壁、畳敷き、渋すぎる襖の柄。
エアコンなし。
クローゼットの代わりに一間の押し入れと床の間。
バスとトイレは一緒で、タイル貼りの不思議な造作。
洗面所はないから、歯みがきも洗顔も全てシンクで済ます。
洗濯機はベランダへ。
下に大家さんが住んでいる女性専用の物件だ。
東京都下のある街。ちょうど家の前に23区の境界がある。友達に電話するには常に03をつけて市外通話をすることになるのが悔しかった。
何もない駅。ファミリーマートに通い詰めた。
家賃は仕送りのちょうど半分だった。
部屋に上がり込むノラ猫をかわいがっていたら、さすがに大家さんに怒られた。
あの恐ろしい日がやってきたのは、大学3年の秋のことだった。
詳しくは忘れてしまったが、そのとき考えたことは今も覚えている。
「彼は日の当たる側の人間で、私は逆側にいる」
「周囲を明るく照らす光の眩しさに憧れたけれど、私の私らしさ、私ならではの良さには、価値を見出してはくれなかった」
ただ、悲しかった。
音のないアパートの部屋でひとり、人の気配がなく時間も歪んでしまいそうな空間で、際限なく泣いた。
ショックのあまり、しばらくの間、友達に言い出すことができなかった。
昼夜は逆転し、午後の3限にも遅刻した。
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それでも、時間の経過とともに感情は濃密さを失っていくということを知る。
たくさんの国を旅して、大量の履歴書を書き、苦しみながらワープロで書き上げた長い卒論を期限ぎりぎりに提出し、新卒の配属が遠くの事業所に決まって引っ越しをすることになったときには、新しい日々のできごとで頭の中がすっかり上書きされていた。
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あのアパートはなんと現存する。築42年だ。
高齢の大家さんは健在だろうか。
メガネをかけた優しそうな息子さんが管理を受け継いだのだろうか。
物件情報のサイトによると、室内はフルリフォームされてフローリング敷きの床になっている。
風呂とトイレは別。小さいけれど洗面所もある。
もちろん収納はクローゼット。
平成の大合併で街の名前も変わった。
私はといえば。
あれからいくつかの街で暮らし、泣いたり笑ったりしながら、それなりに自分らしく、たくましく生きている。
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