眠れなくて朝、長めのトイレにて

「眠気来ず 気づけば外は 明るくて なにしてるんだ 冬の冷たさ」

魯貧、心の短歌。


というわけで、どうも。

いつもと少し違う入りをしてみました。

眠いには眠いです。
ただ、全く身体が睡眠モードにならずチグハグな世界線にいました。

そうです。
いつ飲もうか悩んでたらタイミング逃して眠剤を飲みそこねてしまったというわけで。

今から飲んだら完全に昼夜逆転して予定が全部狂うので辞めておきますし、むしろ眠眠打破みたいなものでシャキッとさせておかないといけないレベル。

ブラックガムも最近は効き目がないので、身体のオンオフはなかなか厳しいところ。

親の都合でキッズの大切な予定を蹴り飛ばすほど動けなくなるときもあるけれど、それはいいことじゃないのは当然だよね。

ここは日本。
お留守番は子供だけでもするのが昔ながらの文化というか考え方。

そんなことを海外で口にしたら頭おかしい虐待だと言われてしまう。

近頃はそんなお留守番文化も危機を迎えている。

子供を安易に放置してはならないとか、不必要に叱りつけてはいけないとか。

叱りつけも基準があって、マニュアルみたいなものをもらって読んでも昔ながらの育児で育った身からすると理解しがたいものや、しんどく感じるものもたくさんあった。

今は自分自身が自分の身体との向き合い方を勉強し、前向きな方向へと導こうとしている段階。

それなのにここまでふり返って
「親を6年もやってきて2人育てて立派だよ」
なんてお世辞言われても身体にどうも馴染まない。

心のどこかでドアを、半開きだったドアを鍵かけて閉じてしまった。

あと一歩だったのに。
悔しさがにじむ。

いまがあるのはお腹を痛めて産んだからだとは思えない。
それが素晴らしいと人は言うけど痛めて産むことになんの意味があったのだろう。

もちろん我が子は目に入れても痛くない。
そんな言葉もいっときの感情にしか過ぎなくて、思いっきり痛いときもあるし投げ捨てたくなることも正直山のようにあることを乗り越えて言える一言だったりするんだろうなと、育児美談を聞く度に「キラキラしてなくて悪かったね」なんて不貞腐れた気持ちになる。

良いことも悪いこともそれが大事。
それが日常。

いい部分だけ切り取れば済む話じゃないからこそ、赤裸々に綴ることにしている。

それは時に、読み手のことを考えていないとも取れるけれど自分自身の備忘録でもあり、その場の表情でもある。

さよなら、昨日の自分。
おはよう、今日の自分。

泣きたいときは泣けばいい。

誰の前でも関係ない、感情に正直な人になることを忘れてはならない、なんとなくそんな気がして。

では。

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