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時の流れ。

どうも。

※自分の記録としても書いており、かなり長いため覚悟して読んでほしい。でも読んでほしい複雑さ。


さて、まもなく長女氏の生誕祭だ。
その前日は我が生誕祭。
歳をとるという言いかたは好みじゃないから、レベルアップと呼ぶ。
とにかく必ず自分のレベルアップした次の日、長女氏のレベルアップがメインイベントになるのは間違いないのだから、自分のメインイベントになりうる日はもう二度とこないだろう。

タイトルの写真

これはまだまだ先だと思っていた、ランドセルを背負う長女氏。
話題によると、みんな早くから欲しいメーカーなど目をつけて買うらしい。
ラン活などと呼ばれたり。
早い人は年中の12月あたりからやると書いてあるサイトもあって、我が家は2年連続組だが「そんな早いの?」と驚いていた。
12月に買うとなると、使うのは再来年の4月なのにどこに置いておくんだ。
未使用のランドセルが2つ並ぶタイミングが発生することにもなる。

驚愕の

値段もピンキリ。
アウトレット商品だと9千円台で買えたり、ブランド品だと10万超えるようなものまで。
もちろん背負い心地とか大事だし6年間使うわけだから、メーカー保証で修理とかあったとしてもなるべく壊れないようなものが欲しい。
とりあえず買うではダメだろう。
最終的にアウトレットで安く買うことにしたとしても、金額関係なしにその場で買えないけど「色決めて背負うだけはしてみて」とやらせたり。
それにしても、長女氏、来年はもう年長かと思うと時の速さには驚かされる。

余談

ちょっと自分の話をすると、カラフルなランドセルが出始めで他の色の子はクラスに2人くらい。「基本赤だよね」みたいな時代だから選びに行くこともなく、祖母がランドセルを勝手に選んで送ってくれた覚えがある。
女は赤、男は黒。私立はみんな黒。みたいな図式が出来上がっていたから、初めは嬉しかったけど、他の色の存在を知ってからは、赤が嫌で嫌で。
「茶色とか水色とかあるなら言えよ!」ってかなりの割合で言った記憶が。
でも、通ってた小学校は小学4年生くらいからランドセルをやめていく子が現れ始め、リュックに移行する。
高いお金出しても結果そうなるなら気合い入れなくてよかった。今になればそう思える。
全く見知らぬ土地で育児をしている。だからそういう情報はまだえられてない。
ただ、パッと通りかかる小学生を目にしたとき体格が良かったり背が高かったりする子たちでも、ランドセルの子しか見ないからこっちは6年間ランドセルのような気がしている。
おっと、余談長くなったからこのへんで。

居場所

ハッキリそう感じているからこそ、言い切れる。

※ここからさらに長くなるが読んでくれたら嬉しい。

見知らぬ土地にきて、右も左もわからないとき手を差し伸べてくれて、とりあえずとアドバイスをくれるだけでなく、一緒に動いてくれた人たち。
もう本当に手取り足取りとはこのことだと言わんばかり。
お尻を叩いてくれるような人が必要だと自分でよくわかってるからすごく当時は助かっていた。
子供たちはどのくらい覚えているだろう。
それ以前の記憶は全く持っていてほしくない、消せるなら消してあげたい。だからこそ、ここでの育児は多くの人の力を持って成り立っている。

当初保育園行かせるのなんて考えてもなくて、自分の経験で年少から入れる幼稚園に年中から入れられた記憶があった。
その流れで幼稚園行くのかなと思っていた。
保育園や幼稚園とは別に、3歳まで預けられる保育ママみたいなところはイメージが悪く、それに候補にしてたところを見学に連れて行ってもらったとき事情を説明すると嫌そうにされた。その態度でこの問題は根深そうだと気付かされたり。
それに後になって知ったことだが、幼稚園に入るにはプレ保育というものがあったらしい。
その幼稚園に入ると確定するわけではなさそうだが、親子で雰囲気を感じたりするクラスに事前に通う必要性もあった。
行かなくても幼稚園入れるけど、もう親同士や子供同士のコミュニティができていて、入る隙がなさそう。

結局、周囲のアドバイスを受け、とりあえず今いる場所から近い順に見学に行くこともなく、言われた通りどこにあるかも知らない保育園名を希望表に書いて役所に提出することになった。

それから受験の合否発表みたいな感じで手紙が届き、残念ながらというのを繰り返していく。

ここで不思議なことが起きる。
ある日のこと、長女氏と次女氏の通知2通届いていて「また落ちたんだろうなぁ」と。
すると次女氏だけ行けることになっていた。
驚きとこの先どうしたらいいのかの迷いがあった。
でもこれはきっと何かあるんだと思い、次女氏を受け入れてくれる保育園の手続きを進めていった。
そして入園。次女氏だけ預けるので長女氏ももちろん付き添って送迎はしていた。

保育園の申し込みは継続していたが、2人が保育園に入るその前から近くの児童館に午前中お世話になっていた。
午前中は乳幼児が遊べる時間で、プログラムもあるし、次女氏を預けて1時間ほど外で遊んだら児童館に連れて行こう(保育園は9時に預けていたが児童館の開館は10時)そうしてやり過ごしていくことにした。

児童館ではフリータイムは好きな遊びをして長女氏も満足していたが、決められたイベントはからっきし。
絵本の読み聞かせタイムや音楽に合わせて身体を動かす体操など、必ずやってから午前中の活動が終わる。
だが、自我なのかやりたいことしか目が向かないから周りがちゃんと座って親と読み聞かせを聞いてたりできない。一緒に身体動かしたりしていても1人走り回り、やろうとしない。
興味のないことは完全に振り切って無視していた。
それを児童館の職員に止めてもらったり半強制的に連れ戻してもらったりして。
そんなことをしていながらも、児童館の職員は「大人がいるから大丈夫。来ていいんだよ」と受け入れてくれていた。

チャンス?

たまたま児童館に、児童館のある保育園とは別で近くにある保育園の先生たちがきていた。距離にしたら5分くらいのところにある保育園。
そこは、まだ入園前のお子さんたちを対象にした親子教室みたいなのを定期的にやっていたようで、その宣伝に来ていた。
案内を受け取り、そこにいた先生に「次回はいつですか?」と日付の確認をした。
幼稚園出身の身としては保育園ってどんなところか実際よくわかってなかったから、長女氏を場に慣れさせるためと保育園がどういうところか知るために「行きますね!」と先生に話をしたはず。
そしてその案内を眺めて、楽しみにその日を待っていた。

そしてその日はくる

1通の手紙が届く。
「またダメなんだろうな」と封を切る。
すると、どういうことだろう。
保育園が決まったのだ。
だが何度見返しても次女氏と違う保育園名。
「バラバラに通わせるの?送迎どうしよう」今度は違った悩みが発生した。
でも、決まってよかった。
次女氏の保育園にそのことを伝えると喜んでもらえたけど、別々で残念だねとも言われた。本当にその気持ちがあったから悩ましく感じていたね。

とはいえとにかく通わせてみなきゃわからない。

決定後

そして、長女氏の保育園から通園前に健康診断があるので来て欲しいとのことで連れて行った。
場所は保育園2ヶ所ともそんなに遠くはなかった。でもこんなところに保育園があるのを通うことになるまで知らなかった無知さ。
いざ健康診断で園に入るとそこにはあの日児童館で「行きますね!」と伝えたときの先生が。
そうその保育園に長女氏は通えることになったのだ。
それも予定してたイベント前に。
なんということでしょう。
「あのときの!」と当然なるわけで、すごく感慨深いものだった。
あの児童館での出会いがここに引き寄せてくれたのかな?とか都合のいいことを思ってみたり。

無事に入園

入園したのが2歳児クラス。
他の子よりも慣れるのに何倍も時間を要して、慣らし保育という短時間で帰るという練習が長引いた。
次女氏があっさりだったので平気かと思ったがやはり人間そりゃタイプも違うよね。
そもそも長女氏がタイミング悪く風邪をひき、入園予定日が1週間延びた。

初めて預けた日は、2人同時に子供がいない、全くの1人という現実が受け止められなくて泣いてしまった。
巣立ちのような寂しさと、こんなに早くから2人を預けなければならない状況に対してだったと思う。

慣らし保育は普通1週間もあれば難なくクリアするものだが、なんだかんだしてたら1ヶ月使った気がする。

地域に育ててもらっている

ちょっとした悩みではないが、自分が少なからずこれまで育児とは別に学んできたことを引き出しから漁って、ようやく必要性を感じ支援につなげてもらったものがある。

発達段階における長女氏のこだわりと言葉の遅さなど気になることはあった。
オムツは3歳のうちにあっさり取れて、漏らすこともほぼないんだけど。
そういった悩みを保育園と共有しながら、保健師や発達関係の部署に問い合わせをして話を進めていく。

なんとなく福祉関係の勉強をしていたり、周りに詳しい人がいたり、自分自身も知ることの範疇だったのもあり
療育とか母子通園というワードに全く抵抗がなかったし、知ってるからこそポンポン話が進んでいく。
そして紹介を受けたところに見学に行き即決。
週1のお弁当作りと親子で身体を動かすということ、それから保育園を1日休むこと。これが条件ではあるが、長女氏は産まれてからママと2人きりという経験がほぼない。そういった意味でもここに通わせようと決めた。

保育園、母子通園、近所の方々、役所の担当者、そして通院先の先生

甘えすぎだと言われるかもしれないけれど、1人じゃない、いつでも誰かキャッチして守ってくれる。
その安心感でここまでやってこれた。

そして現在

冒頭にもあったように、まもなく自分と長女氏はレベルアップを迎える。
自分は年齢+親という職業レベルの両方がアップ。親は転職できないからね。
そして長女氏は年齢が1つレベルアップしていく。
ここまでの道のりは決して平坦ではなかったし、色々苦労もかけてきた。
でもいま、周りのサポートを受けながら少しずつ前に前にと。できることも増えていく、成長がなによりもご褒美だ。

命あって物種
これは我が家で大事にしてる言葉。
これからもずっと手を取り合っていきたい。


では。

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