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掲げた目標は、そのほとんどが、達成しても意味を成さない

所信表明は、自分の行動の動機付けとしては非常に効果的です。

所信表明
自分の考えや信念、または方針などについて演説したり講義したりする形で表明すること。
(実用日本語表現辞典より)

つまり、自分がこれからどのように考え、どう行動し、どのような結果を望んでいるのかを知らしめることで、自ら「引くに引けない」状況を作り出すからです。

多くの人は、締め切り間近や追い込まれたときに、危機感から集中力が増すと思いますが、「公衆に告げる=衆人環視に置かれている」という感覚も、自分を律するのに有効だと私は感じています。

しかし、このような所信表明を行った結果、道半ばで挫折しなければならなかったとき、自分の創り出していた状況が虚構だったと気付くケースも少なくないでしょう。

なぜなら、「引くに引けない状況」も「衆人環視」も、自分が作り出した錯覚だからです。

だからこそ、挫折したショックを緩和させるような言葉が現代には溢れています。

…と、話が進んでいますが、今回は「目標の在り方」について書いていこうと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

イラスト・男性・階段。ステップ・トロフィー・ゴール・目標・業績・ビジネスマン・成功

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例えば、「100日連続投稿します」や「起業します」という目標で考えてみましょう。

先述の流れに沿って解説すると、まずは公表することで自分を追い込み、継続的なモチベーションを保とうとします。

…これ自体は、何ら問題はありません。

では、達成できなかったときや、いつ達成するのか分からないときを想像してみてください。

自分としては、それなりに頑張ってきたけれど、目標に届かなかった、あるいは見失ってしまった場合、あなたは自分を叱責しつつも、どこかに救いを求めるはずです。

そうでなければ、心の安寧が保たれないからです。

そして、論理のすり替えが起こります。

自分で「また頑張ろう」と気持ちを切り替えたり、誰かの「応援している」や「所信表明自体、誰にも迷惑かけていないのだから気にすることはない」という言葉にすがりたくなるかもしれません。

ですが、これらのように目標達成できなかったことを、まるで無かったことのように片付けるのは少し違うのではないかと私は思います。

目標を掲げる上で大切なのは、結果ではなく経過だからです。

バランス・石

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仮に連続投稿が99日で止まってしまったとしても、99日書き上げた実績は残ります。

反対に、100日連続投稿を達成しても、それ自体は単なる自己満足に過ぎません。

例えば「ライティング能力を磨きたい」と考えて、100日連続投稿を目標に掲げるのは、趣旨がズレています。

記事を書かずとも、秀逸な投稿をされる方の分析を行ってもライティング能力は向上すると思われるからです。

「書かなければ上達しない」のは、一定以上の経過を経てからであって、最初は何をやっても糧になるのではないでしょうか?

ロールプレイングゲームの初期段階でレベルが上がりやすいのと同じです。

「100日連続投稿=ライティング能力の向上」のように、目標を掲げたばかりの頃は、本旨とズレているケースが少なくありません。

ですから、「掲げた目標は、そのほとんどが、達成しても意味を成さない」というワケです。

何度も何度も目標を掲げて、達成の有無を迎え、それが本当に自分にとって有意義なモノであったのかを確かめること。

この「経過→結果→振り返り」のサイクルの先に、ようやく意味のある目標(ゴール)があると思うのですが、あなたはどう感じるでしょうか?

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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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