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電車に揺られながら、どうでもいい仮説を思いついて、思考に集中しすぎて、降りる駅を間違えそうになったけど、無事に降りられた話。

いきなり余談ですが、私は自家用車を持っていません。

理由は二つあって、一つは維持費が高いから、もう一つは利用頻度が低いからです。

職場は自転車でいける距離ですし、大きな買い物は通販で済ませてしまうので、ハッキリ言って不要なのですが、車を持っている人からは、「貧乏人」だと思われているようなので、ここで言っておきたい。

(゚Д゚)ノ…はい、貧乏人です(笑)。

車種や燃料費等、誤差はありますが、一般的に20歳から70歳まで、自家用車を所持していた場合、生涯かかる費用は4,000万円だそうです(生涯、軽自動車なら半分くらい?)。

…それならば、別のことにお金を回したい、所得は限られていますから。ということで、貧乏人がゆえに、移動手段は専ら、公共交通機関だということを踏まえて、今回のメインの話に進みます

ちなみに、「車を持っていないと貧乏人」というのは、卑下ではなく、事実、複数名に言われた経験のあることで、実際問題、「お金持ちか?貧乏人か?」で考えたら、貧乏人なので、悪口とも偏見だとも思っていません

世代的文化(私の世代では、「車=ステータス」という時代があったのです)

電車・座席

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私は、近距離であれば、電車では基本的に立って利用しています。

立っていると、座っているときよりも、電車の揺れに敏感に反応します。というのも、どうも三半規管が弱いのか、手すりにつかまったり、車体に触れていないとバランスを崩してしまいがちです。

…「バランスを崩してしまいがち」と、遠慮して書きましたが、実際のところは、みっともなく転ぶ寸前状態です(笑)。

そんな私の横では高齢の女性が手すりも持たず、自らの足だけで立っているではありませんか(゚Д゚)スゲ。

そこで、「電車でバランスを崩してしまう人と、そうでない人の違いとは?」という思考遊びに耽ることにしました( ̄▽ ̄;)テヘ。

電車・乗客・足

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さきほど触れたように、三半規管などといった身体的な相違点も、もちろんあると思います。

ですが、身体的ではなく精神的な相違点があるとするならば、何が違うのでしょう?(仮説)

Σ(゚Д゚)…これは、まさか、「信念の有無」⁉(←ここから妄想に入りますw)。

足先から頭のてっぺんに至るまで、一本のどっしりとした幹(信念)があるからこそ、自らの足で揺らぐことなく立っているのではないでしょうか?

だとすれば、私の信念とは、なんと脆弱なのでしょうか?

信念を貫く気概というのが、さまざまな経験を通して、築き上げていくものなのだとしたら、そこに精神的作用と身体的作用の差はないのかもしれません。

つまり、「身体的作用=電車の揺れに耐える行為」の経験が信念の形成に影響を及ぼしているかもしれない。(仮説というより妄想)

よし、自分の足だけで立ってみよう。

キキ~~ッ‼(電車のブレーキ音)


うん、すぐには無理でした(/ω\)キャ。

手すりが無ければ、隣の高齢の女性にアタックするところでした。

危ない危ない…。

…。

あ、降りる駅でした(;゚Д゚)、降ります~‼

電車・ホーム

ということで、今回の投稿は以上です。

(※画像はすべてイメージ画像です)


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