組織の体制を整えるって難しい
今回は、自分以外の人の処遇を決めることの難しさについて考えてみることにします。
学校では委員会や係などがあったり、会社では部署や役職などが存在しますが、誰もが自分の望むことを担当するわけではありません。
ですから、「割り振られる側」にとって、自分の希望と違う処遇は不満の原因になりかねません。
「なんで、私がやらなければならないの?」
しかし、一方で、「割り振る側」は頭を悩ませるイベントであり、ついでに言えば、胃も痛くなるモノだったりします。
誰も、何も不満のない組織体制なんて、きっと存在しないからです。
それでも、みんなの性格や得意なことや好きなことが、組織のあらゆる場面で必要であり、みんなの居場所である学校や会社といった組織を続けていくために必死になって考えるのです。
さて、「割り振られる側」としての私は、組織にとっては都合の良いタイプの人間かもしれません。
組織に属している以上は、与えられた役割を果たしたいと思うし、不平不満は言わないようにするからです。
そう、言わないだけで思うところはあるので、組織に属する理由が無くなったらいなくなってしまうのだけれど…。
ちなみに、不平不満を言わないというのは、何も高尚な理由ではありません。
たまに呆れられるのですが、「怒る」や「イライラする」という感情を持つって、疲れちゃいませんか?
どうにもならないことは、明らかにして納得して諦めた方が気が楽なのです。
…あ、「諦める」という言葉の語源は「明らかにする」らしく、どうにもできないと納得できれば、そこに遺恨は残さない…つまり「諦める」状態になるからなんだとか。
話を戻しますが、一方で「割り振る側」としての私は、毎回ぐったりしながら組織図を作成したりします。
「…この人には、この役割を担ってほしいけど、嫌がるだろうな…」とか、想像してしまうから。
本当に申し訳ないのだけれど、一人ひとりの意見を聞いていたら、組織体制って整わないわけで…。
心の中で謝罪しながらも、態度に出してしまっては相手に失礼でもあるので、「これでいきます」とだけ伝えています。
組織に属するって、きっと誰もが何かを我慢して、きっと何かに不満を抱いて、それでも、自分の「生きる」を守るために役割を担っているのだと思います。
ですが、自分以外の何らかの力が及んだか、偶然の産物か、思いもよらない状況に立ったことを楽しめることができたらいいな…と思いますし願っています。
あー、組織って本当に難しいですよね。
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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