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感情は積み上げるほどに…
感情表現って、とても大切ですよね。
笑ったり泣いたり、怒ったり悲しんだり…。
人として、感情表現の豊かな方に憧れを抱くことがよくあります。
何と言うか…人間らしさだと思うのです。
私の場合は、いつの頃からか、感情表現が苦手になっていきました。
ストレスに対抗してのことなのか、自ら封じ込めてしまったのか…?
ビジネス社会では、論理的思考力というものがフォーカスされ、感情や感覚といった定性的なモノではなく、論理と根拠を以って定量的に働くことを是とする潮流になって久しいと思います。
ですが、論理的思考と感情は共存できるのでしょうか?
あるいは、どちらかが強まれば、どちらかは衰退していくのでしょうか?
ということで、今回は感情について書いていこうと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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私個人の意見ですが、感情の幅が狭くなると、ストレスに対して耐性が上がると考えています。
「楽しい」の上限が高いほど「苦しい」の上限も増していく…、そんな振り子のような感覚を私は感じます。
これは人間関係にも当てはまります。
誰かへの好意が高くなると、誰かへの嫌悪も増していく気がするのです。
このような、総和的な概念は「ゼロサム」と呼ばれ、一時期は競合他社との市場の獲得は、この原理が働いているとされていましたね。
今の私は、年齢や過去の経験の積み上げの影響なのでしょうか、あまり感情の揺れが大きくなることがない状態だと感じています。
大きな悲しみや苦しみを感じない反面、心の底から楽しいと感じる感覚も、どんなものだったか、すっかり忘れてしまいました。
ある意味では、これは自然なことなのでしょう。
時間という定量的に計ることのできるものについて、19世紀のフランスの哲学者のピエール・ジャネが興味深い法則を提唱しています。
(下記参照リンク)
個人的見解ですが、感情もきっと、ジャネーの法則と同じように、積み上げた分母の数だけ、体感的には小さく感じるのだと考えています。
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経験は尊いものだと多くの方は唱えますが、ジャネーの法則などから鑑みると、経験を積むごとに、一つひとつの体験の心や脳への情動は薄まっていくと考えられます。
そう考えると、歳を重ねるごとに「昔は良かった…」と吐露する年配の方の言動は、この情動の鮮明さが影響しているのかもしれませんね。
逆に、私は着実に「昔は良かった…」と過去を振り返る年齢に差し掛かってきているのでしょうね…。
とは言え、「良かった」と思える過去がないのですが(笑)。
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今の私は、感情の幅が狭まってきており、笑顔を作ることは出来ても、笑顔で日々を過ごすことは難しくなってきています。
繰り返しになりますが、そのぶんストレス耐性もあると思うのですが…。
noteに投稿されている方の心の動きや感情表現に触れるたびに、とても眩しく感じます。
つらいことや苦しいことは、できるだけ避けたいと思うでしょうが、負の感情を大きく感じるということは、きっと喜びや楽しみも全身で感じられる感受性を持っているのだと思います。
どうか、その感情を、少しでも持ち続けてほしいと、一人の読者として願っています。
…最後は私の感情の話じゃなくなってしまいましたが、今回の投稿は以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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