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無責任なことは言えないけれど…

「○○さんなら大丈夫」や「○○さんなら出来る」という言葉は、そのままでは無責任だと思うのです。

大丈夫の定義を示し、なぜ出来ると考えているかの根拠を示してこそ、その言葉は、誰かの背中を押す一言になるのではないでしょうか?

「私だって出来たんだから」や「私だって大丈夫だったんだから」は、何の根拠にもならない言葉だと思うのです。

もし、相手が出来なかったり、大丈夫ではなかったとき、きっと相手は優劣を感じてしまうのではないでしょうか?

人は、力強い言葉に惹かれる生き物です。

だからこそ、言葉を発する時には、その言葉に責任を持たなければならないと、私は考えています。

職業柄、他者が「出来ない」と考えていることをお願いすることもあれば、「大丈夫じゃない」状態を支えることもあります。

そのときに、「出来る」を前提にしてしまうと、相手は「出来ない」が怖くなってしまうし、「大丈夫」だと位置付けてしまうと、相手は「大丈夫じゃない」と訴えられなくなってしまうのではないかと思うのです。

結果だけに捉われず、行為や行動に及んだ気概を本人にも自己認識してもらいたい…。

私は、無責任なことは言えないけれど、あなたの「出来る」を信じています。


ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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