見出し画像

最終章.再びパリへ、そして日本へ

バルセロナでは、東京の大学で建築を学んでいるという一人旅の学生と出会い、彼の案内でサグラダファミリア、五輪会場にもなったスタジアムなどバルセロナの街を建築の観点から一緒に廻った。

彼のガイドで巡るバルセロナの街は、それまでの人生で「建築」という視座を持ち合わせず生きてきた僕には本当に新鮮で楽しい時間であった。
20年以上経った今でも、その時の楽しい思い出が甦ってくる。

建築学科の彼とはピカソ美術館で別れ、僕はその日の晩の夜行列車でパリに戻ることにした。
翌日の午後にはパリから日本へ向かう帰国便の時間が迫っていたからだ。

列車が出発するまでの数時間、時間を持て余したので港近くの映画館に行き、当時流行っていた「Mr.ビーン」の映画をスペイン語吹き替え版で観たのだが、ローワンアトキンソンの言葉の国境を楽々越えてくるノンヴァーバルな笑いの世界には終始笑いっぱなしであった。

映画館を出ると、予定された列車の時刻も近付いてきたため駅へと急いだ。

列車は、スペインとフランスの国境のフランス側の駅「Cerbère」で停車し、そこからパリ行きの直通夜行列車に乗り換えとなる。乗り換えを待つ間、「Cerbère」を「シェルブール」と勘違いし、映画「シェルブールの雨傘」のテーマを口笛で吹いていると、近くのフランス人のおじさんに、「違うよ、お兄ちゃん、それはシェルブール、ここはセルベール」と突っ込まれ、パリに到着後地図で確認したところ、シェルブールはノルマンディー地方の「Cherbourg」だと分かりとても恥ずかしく思ったのを覚えている。

そして、夜行列車は、無事にパリのオーステルリッツ駅(Gare d'Austerlitz)に朝の7時頃到着した。

シャルル・ド・ゴール空港に行くには早すぎるため、セーヌ川の畔のベンチに横たわり、backpackを枕に2時間程仮眠した僕は、パリ市街地を後にし空港に向かった。

空港で諸々の手続きを終えた後、乗り込んだ関西空港行きの帰国便は満席で、搭乗後の手荷物入れにbackpackを入れようと荷物庫扉を開けたら、周辺の手荷物入れが見事にLOUIS VUITTONやHERMESやGUCCIの紙袋で一杯になっていた。

仕方なく、フライトアテンダントのお姉さんにbackpackを預けて、関空まで寝ることにした。

初めてのヨーロッパ、初めての一人旅、色んなことが初めて尽くしの旅であったが、振り返ると本当に刺激いっぱいの毎日だった。

飛行機はゆっくりと滑走路に入り、そして大きく伸ばした翼をゆっくりとパリ郊外の大空に羽ばたかせた。帰りのフライトが窓側の席だったことは幸運であった。1か月の旅を終え、窓から眼下を見下ろすと、雄大なヨーロッパ大陸が広がっている。そして心の中で、この1か月、無事に過ごせたことに感謝しながら、誘ってくる深い眠りに身を任せ、今回の旅を締め括った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?